「入欧すれど脱亜せず」岡倉天心の思想

 明治期、知の巨人と言っても良い福澤諭吉は、声高に「脱亜入欧」を説いていたが、美術界の巨人岡倉天心は、欧米に向かってアジアの優れた美を喧伝して行った。

 今日は、北茨城市にある天心のたてた日本美術院の本拠地である「六角堂」を訪ねた。天心の居宅の傍らに巨大な石碑が有り、そこには「亜細亜は一つ」と記されている。天心は、この地で日本美術の発展に尽力しながら、ボストン美術館の東洋部門の長としての仕事にも邁進していた。天心の死後「八紘一宇」を掲げる勢力は、この言葉を都合の良いように解釈してしまったが、もとより天心にはそのような下卑た意識は無く、ただ純粋に東洋