「岡倉天心」の日記一覧

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「入欧すれど脱亜せず」岡倉天心の思想

 明治期、知の巨人と言っても良い福澤諭吉は、声高に「脱亜入欧」を説いていたが、美術界の巨人岡倉天心は、欧米に向かってアジアの優れた美を喧伝して行った。  今日は、北茨城市にある天心のたてた日本美術院の本拠地である「六角堂」を訪ねた。天心の居宅の傍らに巨大な石碑が有り、そこには「亜細亜は一つ」と記されている。天心は、この地で日本美術の発展に尽力しながら、ボストン美術館の東洋部門の長としての仕…

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「夢殿の救世観音」発見物語 ~フェノロサ~

法隆寺の秘仏、救世観音菩薩像は、明治時代に、アメリカ人、アーネスト・フェノロサによって発見されました。 その時、通訳助手として同行したのが、岡倉天心でした。 日本に仏教が伝来して1400年、法隆寺には約650体の仏像が安置されています。 これらの仏像の中で、一番謎に満ちた仏像は夢殿の厨子の中にある救世観音菩薩像でしょう。 天平11年、739年、八角堂の夢殿の中に納められたこの仏像は、長い間、…

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ご高齢歌人からの葉書

 90歳をとっくに超えられた歌人で、織部研究者の久野さんから、昨日こんな葉書が届きました。私たちが所属する岐阜県歌人クラブ紙の、今月号の私の歌を読まれた感想です。たった31文字の歌からここまで述べて下さり感謝の一言に尽きます。  彼は織部の研究者で数々の著書があり、織部賞も受けられています。数年前から日本一暑い多治見の地から琵琶湖畔に居を移しておられます。涼しくて快適のようです。 歌人クラブ…

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岡倉天心の偉さ

11月5日(土)16時から、BS103で、「英雄たちの選択」の再放送があった。 この日の英雄は岡倉天心だった。17歳で東大を出て、文部官僚になった。たしか、森鷗外も17歳で東大を出ている。昔は、秀才は早く世に出て働かせよう、という空気があったのだろう。 当時、廃仏毀釈で壊された仏像が、めっちゃ多くって、どう扱うべきか、政府も困っていた。木は燃やせ、石は埋めろ、という指示まで出したらしいが、そうし…