連載:歴史を活かす力

富雄丸山古墳の埋葬者及び祭司の仮想現実

 富雄丸山古墳の陪塚出土品の青銅鏡、蛇行剣が過去最大とは、聖徳太子像の長大剣であり、平城京遷都に備える祭礼儀式・聖徳太子一族25人及び蘇我大臣の祟り(扶桑略記)を鎮める。また、日本書紀の「生駒山に鬼隠くる」に対する祈禱的供物品だと推察する。

文武天皇在世中の慶雲4年(707)に審議が始まり、和銅元年(708)には元明天皇により遷都の詔が出された。

1.富雄丸山古墳の主郭ではなく陪塚(造出)であること
2.平城京の真西に位置すること

3.661年の37代・斉明天皇(35代・皇極女帝)が崩御(突然死)
4.38代・天智天皇の不明没、