町工場が頑張れば日本は救われる   !

昨今、我が町の上空を羽田空港に離着陸する航空機が上空を飛来する。本来であれば空域はいまだに米軍の管轄にあり、羽田の空港の発着の増便と共に空路が認められたもので、空高く航空機の姿を雲間に見ることが出来る。

戦後、占領軍によって、日本は航空機の製造と航空事業を禁止される中、失業したパイロット、航空整備士を救済するために美土路昌一氏(全日本空輸創業者)が「興民社」を作り、旧陸軍から払い下げられたトラックを利用した運送業、タクシー業、食品販売など広い商売を展開した。

しかし、倒産の危機に自身の書画骨董品を処分して埋め合わせたこともあった。そんな苦境を