自分の力で生きているのではなかったという気づき

自分が生きていると思っていたところから
そうではなかったんだという気づき
これが回心ということだろう。

自分もやっとこのことが
身に染みてきたところだ。

宗教の会で師匠がテキストに書かれたことを
自分の確認がてら載せてみようと思う。

【歎異抄1条の私的解釈より。

気づきに至る前までは、自分の願いや欲望を
かなえることが幸福であり、その結果、我を張り、
自分の利益を追い求める生き方に終始していた。
「個人の尊重」「個性の発揮」という
きれいな言葉の陰で、
自分の利益を最大限追求する生き方だった。

信仰において