父が伝えたかった戦争


晩秋のあの日、私はゆっくりと知覧特攻平和会館へとつづく道を歩いていた。朝日を浴びて生き生きとした花壇の花を見ながら、何度訪れたのか記憶を増幅していた。この会館は、私の心の奥にそっと潜み、大半を占める亡き父の言葉を思い出す癒しの場所であった。開聞岳に向かって特攻隊が飛び立った空港のあった場所でもあり、特攻隊員が残した遺書や遺品を見て、その時の国を守る純粋な気持ちと国家暴力の異常さに気づき、『声なき声』に何度涙したことだろうか。時空を越えて、まるで自分が歩んできた人生の平和な暮らしが、あの戦争で飛び散った若者たちの命のお陰で、築かれたに違いないの