そのときどきの数限りない縁によって
瞬間瞬間を生きる「私」であって、
確固たる自分はいない。
一見、「私」が生きていて
この「私」がいろいろなことをやっているように
見えるのだが、
そうではなく、
縁起が「私」となって生きているのである。
ーー私はこのことを「仏が私となって生きている」
と以前表現した。
これが真実のあり様で
それに即して生きていくことが大切であり、
苦しみからの解放につながっていく。
縁起が自分となって生きている
仏(如来さま)が自分となって生きている
怒ったなら、
ああ、縁起によ