キリスト教の「空海」ともいうべきぺトロ岐部カスイ

キリスト教の「空海」ともいうべきぺトロ岐部カスイ
空海は国の使節として唐に渡ったが、ペトロ岐部は弾圧され自分の意志でエルサレム・ローマを目指した。
天正15年国東半島岐部に生まれ、江戸時代の初期に日本人として初めて聖地エルサレムを訪れ、遥かローマの地で司祭に叙階された。
その後、多くの困難を克服してキリスト教禁制下の日本に帰国して殉教するに至った。
ローマ聖アンドレア修練院で1年6ケ月後、修練の期間はまだ残っていたが、司祭として「同胞の救霊のために」1日も早く故国において責任を果たし我が身を捧げたいとの一心で、ローマを出発しマドリードを経由してポ