タオレテ、ノチ、ヤム(斃れて後已む)94歳の想いと暮らし(50)汽笛を聞きながら

私たち夫婦は、大阪の南の玄関口、天王寺駅にほど近い、戦争で焼け残った古い三階建てのアパートの一階、6畳と3畳で所帯を持った。
中庭を囲んでロの字型に建つ大きなアパートだったが、電気容量が少なく、洗濯機、電気こたつが普及し始めていたのだが、使用禁止だった。それよりも何よりも、定額制の電気で、夕方に点き、朝になると消える定めだった。

それでも、禁を犯してニクロム線の電気コンロなどをあちこちで使うらしく、しばしばヒューズが飛んで停電した。
真っ暗ななかで、奥さん連中が玄関などに集まって、大家の悪口だった。きっと、みせしめに、電気会社への修理依頼を遅らせている