家族

◆:◇ 昼食:ハムエッグハンバーガー・ランチ         (帰還後初食事)_20231019

🚚👬:『今日から』・・・・・ではなく、『ずっと』

 家内が大量の持ち込みと一緒に『帰って来た❣』

 その一ヵ月前まで、二階の寝室の整理と処分を一人で進めていた。

 『一時帰宅』のあの期間。キレイに纏め上げ、『あんなデカい』ダブルベッドを一人

 で解体してパーツに分けたら紐で纏めて粗大ゴミに処分を検討し出していたあの日。

 そうして狂おしい暑い日々が分厚い辞典の数十ページを一気に捲ったように

 夜間は凍える秋の終末期に郷里から彼女の親衛隊なる家財道具たちと共に

 玄関に降り立った。

 にこやかな笑顔が懐かしい。  それより こんなか細い体躯で二十数年間も

 両親の介護に、通院介助にそうして毎日の一切を切り廻していたんだと・・・・・・・・・

 ―――――1999年の暮れ、パーキンソンで倒れて緊急入院した父親を、はるか離れた

 山村から毎日路線バスで通い、診ていた。だから誰も居ない時に突然苦しみ出した

 親を、当直医師に連絡、急遽旭川へ転院と、救急車に同乗し向かい、以後も付きっ

 切りで郷里の山村から旭川の病院まで都市間バスで通い続けた数年。郷里には母が

 居るのだがその母も独り勝ちに成ってしまったのを気にして一人でしなければなら

 ないという思いに至って、部屋の整理をしたり、衣服の季節更衣の始末にとしてい

 た間、乗った踏み台から転落。腰を強打して激痛と動けずの半日だったと云う。

 帰宅した家内が発見し、直ちに救急入院させたのが旭川の別の総合病院。郷里の家を

 守らねばならない、両親の入院の介助や手続きや、診断の記録にと休まる日々は

 無かったのだが、時々電話口に『いつもの』明るい弾んだ声が飛び出して来る。

 どうしてあんなに元気なんだろうかと、日常勤務に追われている自分の立場が

 焦れったく、だから土日は札幌から旭川へJRで伺ってしばしの時を。だが私も

 2006年の秋に出勤中、暴走ボンゴバンに撥ね飛ばされて瀕死の重傷。

 全くバカな自分だよと、ただでさえ毎日大変な思いで緊張した日々を送っている

 家内が絶叫した程の事故に巻き込まれてどれほど彼女の心臓は

 破裂しそうだったコトかと。

 ――――そういうコトからまた17年も経った今日まで孤軍奮闘、周囲に優しい方々

 ばかりもいて呉れたからでしょうか。どうしてあのような明るい声でにこやかに

 電話口を賑わすのでしょうか。この長期間の間に我が父も母も召されてお浄土へ

 旅立ち、私は浄土真宗に入信し、門徒宗の一員として念仏を申し上げてる日々。

 信心を支えに戴いて居ると、迷いは少なくとも振れるほどの揺らぎは少なく

 なります。遠く離れて暮らしている家内徒の毎日のメールで、淋しさや

 愚痴なども笑い合って流し合えます。家内は菩薩様です。

 その菩薩様に甘えるが如くに刃向かったりする時がある愚弄の私です。


🚚🙎彡彡彡

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