思い出の京都~京都迎賓館 17

和舟を造った船大工は、大津市本堅田の故 松井三四郎さんと長男の三男さん、孫の光照さんでした。堅田は、琵琶湖の湖上交通の要の地として、造船業が盛んでした。繊維強化プラスチック製の船が主流になる中で、木製の昔ながらの船を造り続けています。
三四郎さんは、琵琶湖特有の帆立船、丸子船の建造を守ってきましたが、2006(平成18)年5月に急死されました。92歳でした。京都新聞の記者が琵琶湖のほとりの仕事場を訪ねると、亡くなる直前まで、光照さんと削っていた檜の艪が、作業台に残っていたそうです。
注文を受けた三四郎さんは、大事に保管していた木曽産の高野槙を材料に選びました。船を作るには槙が最適だが、槙は非常に入手困難です。「これ、という時のために手に入れてねかせておいた」と三男さんは説明しました。
和舟は全長5.1メートル。へ先から船尾までの側板は槙の一枚板。船底の敷き板や船尾のとも板など、水に触れる部分はすべて槙で出来ています。先が刀のようにとがった剣先舟という形で、浅い池で乗るために、船底は平らにしました。数人が乗り込んで、雅楽や詩歌を披露することも可能です。
三男さんは、三四郎さんが、太い舟くぎを打ち込んでゆく時の音をよく思い出すといいます。今もすぐそばで聞こえるように。和舟の注文は少ないですが「何とか技術を継承していきたい」と語りました。

撮影:2018(平成30)年12月13日

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