「太田道灌」の日記一覧

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悲劇の天才知将・太田道灌の今の江戸城は!?

なぜ今更に太田道灌の名を・・・ その答えが一枚目の有楽町の国際フォーラムの建物の内の入口に立ち、江戸城を見据えるように配置されていますから。 戦国時代の初頭の名将は、西の地では有名では無いのかもしれないのですが、多くの名城を生み出した文武両道の知将です。 そしてその一つの証しが、初代の江戸城の主ですし、決して徳川家康では無いことです。 それでも、より多くの工夫で完…

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フォトサークル撮影会④・・・鎌倉市「英勝寺」

「フォトサークルの撮影会④」~「英勝寺」 8月は、「暑さ」のため従来から行われず、9月に実施で、実施日は9/27、場所は鎌倉市扇ヶ谷の「英勝寺」、参加者9名。 この寺院は、この時期の季節的には彼岸花が有名で、小規模ながら竹林もあります。 拝観料は300円、集合9:30に鎌倉駅西口・時計台前。 鎌倉駅西口から市役所前の交差点を右に行き、1kmぐらいいった左側。 鎌倉五山の三番禅寺…

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これだからウオーキングは面白い

今日も午後から神田の学園の体育館で孫娘が部活があり、車を運転して行き、帰りは休日で家にいる父親(次女の相方)が運転してくるというので私も便乗して行きました。前回同様、私も学園前で降りて2人と別れて歩いて帰宅の途につきました。 神田駅を過ぎて秋葉原駅に向かう裏道を初めて通ったら、小さな神社があって、入り口に狸の石像が鎮座しているのを見つけて入って見ました。説明によると、柳森神社と言って、1457…

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越生散歩 ー太田道灌ゆかりの寺・龍穏寺へー

「おおたどかんと破裂して 山からコロコロコロンブス・・・」 多分小学3,4年生の頃だと思うが、悪童らと学校の校門を出るとランドセルを揺らしながら戯れ言を放吟したことを越生駅から乗ったタクシーの運転手さんと話しながら思い出していた。多分太田道灌という名を知った最初だと思う。 その後、近くに道潅山という地名があり、その坂道で遊んだことも・・・。 運転手さん、何とかNHKの大河ドラマに太田道灌を登場…

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ヤマブキ

ヤマブキの咲く時期になった。 この花を見ると太田道灌の『七重八重花は咲けどもヤマブキの蓑一つだになきぞ悲しき』の歌を思い出す。若い女性がそうした状態を予期してヤマブキを準備する教養と奥ゆかしさに非常に感銘を受けたものである。 これは、若き日の太田道灌が蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後に山吹には「七重八重花は咲けども山…

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太田道灌誕生の地へ

秋晴れの土曜日、毎年恒例となった「ミカン狩り」ミカンをもぎったあとの手打ちそばを食べ、一年の収穫に感謝するこの企画も4回目となる。各地をハイキングし土地の風習や歴史、伝統芸能、建築物などを見ると遠く先人たちが生活したであろう道を自身が歩いている不思議、先人はこの道を何を考えながらいずこへと歩いたのか、想像するだけで胸が騒ぐいろいろな物語が繰り広げられたそれぞれの時代へと思いを寄せてしまう。 太…

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日光道中 最初の宿岩槻宿へ  其の 5

秋も深まるとつるべ落としのように日は西に傾く、膝子一里塚から大橋、ここで大宮道、そして浦和道と合流し、現在の国道16号、122号を渡り坂道を登ると岩淵宿の入り口となり、江戸を出で最初の宿泊地となる。将軍の日光への往復の社参の道として岩槻宿には運輸、通信、休泊を行うための問屋場や本陣が設けられ、大事な仕事としてお成道の清掃があり、宿には九町があり、家数は1415軒、人数は3378人で宿は岩槻藩と幕…