「戦国」の日記一覧

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『邂逅(かいこう)』①

安房の守昌幸は 本丸前の庭で弓を引いていた。 城は既に三万八千の秀忠勢に包囲されていたのであるが 矢はことごとく的の中心を得ていた。 本丸の前のところどころは もう錦秋も豊かで、遠くの 稜線も明浄に装われている頃であった。 矢は目に見えぬ軌跡で昌幸の魂が宿ったかの如く澄み 切った陽ざしを切り裂いていた。 十間のかなたの巻き藁の標的には既に十本余の矢が 中点に射たっている。 立て続けに1…

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☆海際のこの地に居城あったとはこれまた初耳【兵庫城跡】

池田輝政が兵庫城として築城 いろいろ変遷があった後に明治新政府が城跡に最初の兵庫県庁を設置したと書かれてある 海路が運搬手段のメインを張っていた時代ならそれが正しい判断だと感じる 兵庫城跡の碑は新川プロムナードの中間辺りに目立たず地味に設置されてあった

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☆平城の風情漂いなかなかの代物マニア向け素材【私部城跡】

もっとあっさりした城址かと思っていたが充分鑑賞に値した 信長からの信任厚かった「安見氏」の居城、場所は京阪交野駅から徒歩15分あればね 案内板の類いが無く少々てこずりはしたが歩く旅なら見つけ出せるはずだ 築城当時のオーラがそのまま残存してる感強くまことに興味深かった

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☆大和の著名な武将ここに眠る【筒井順慶廟】

近鉄橿原線「平端駅」で下車し線路沿いを北に歩き踏切渡ったら左手にこの史跡がね 石造五輪塔と石燈籠が重要文化財に指定されている 観光地ではないしわざわざ訪れるのは歴史マニアくらいかなぁ 私にとっては名の知れた筒井順慶のお墓となれば素通りなど出来ないわぁ 今回の町歩きはここからスタートしてJR法隆寺駅まで悪戦苦闘しつつ歩き終えた

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☆アニメの聖地以上に歴史的英雄の聖地は外せない【安居神社】

大阪夏の陣で獅子奮迅の活躍をみせたがついにこの地で討ち死にとなった「真田幸村」関西人にとっては忘れ去る事など出来ない 命日の5月7日には「幸村まつり」が行われ全国から彼を慕う人々が集まる 私が訪れたこの日も参拝者数知れずおそらく幸村がらみだと思われる 位置的には上町台地の南端、天王寺動物園からすぐの場所になる 天王寺七坂巡りは南側にある「逢坂」で完了歴史的ロマンに彩られた素敵な小旅行…

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☆関ヶ原で名を上げた西軍軍師の墓がなんと十三に!【島左近の墓】

島左近は戦いの前に二人の娘を知人の元に隠した それが幸いして血筋は守られ子孫の手により墓が立てられたようだ 島家の墓が一番デカイ墓碑そして次の大きさのが孫に当たる島道悦の墓となる 五輪塔が島左近の物になるが専門家によると供養塔という扱いが正解であるらしい 幕府からどのようにして墓が護られて来たのかさてさて色々な問題があったことだろう 大阪方から見れば島左近はまさに英雄、子孫がいたこ…

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今日は、嫁さんと名刀や甲冑等を観て来ました。(=^ェ^=)

令和3年2月14日(バレンタインデー) に嫁さんと 北九州市八幡東区東田2―4―1 いのちのたび博物館 で開催の 名刀「博多藤四郎」の輝き 戦国を生き抜いた武士の絆 展(1月2日~2月14日最終日) にスマートホンでWeb事前予約して、観て来ました。 戦国武士黒田官兵衛の子である 福岡初代藩主 黒田長政 二代藩主黒田忠之 戦国武士小倉初代藩…

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日本語になった事柄、由来 訂正版

日本語になった事柄 1 洞ヶ峠を決め込む 本能寺の変の後、明智光秀の軍と秀吉の軍が、山城国山崎において激突した。 山崎の戦い、あるいは、天王山の戦いともいう。 この時、明智、秀吉の双方から加勢を依頼された大和の大名、筒井順慶は、 山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、 最終的には、どちらに付くか日和見をしたという。日和見する事を「洞ヶ峠」あるいは 「洞ヶ峠を決め込む」といい、普通の日本語に…

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埼玉「寄居北條まつり」2018年5月13日開催。鎧武者隊の攻防戦やパレードは必見 

豊臣秀吉の小田原攻めのさい、鉢形城(はちがたじょう)に陣取った武将・北条氏邦(ほうじょううじくに)は、5万人の豊臣勢を相手に、わずか3,500人の兵力で1ヶ月余り攻防戦を続けました。 この時の戦いを再現したものが「寄居北條祭り」です。 寄居北條祭りの当日は、武者隊が登場。 玉淀河原で出陣式を行った後、市街地をパレードします。 その後、北条・豊臣の両軍に分かれて、荒川を挟んで大砲の砲声が響き渡る…

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おんな城主 直虎 46 47

高天神城・・ 守将は 岡部元信 今川の名軍師 太原雪斎の幕下で 多くの戦を勝利に導いた名将です。 雪斎の指示のもと・・ 信長の父 織田信秀にも完勝し、信長の兄を捕らえ 幼い家康と人質交換し 家康と三河を今川のものにしました。 雪斎が 寿桂尼の謀略で 今川義元から遠ざけられ 隠居し亡くなった後も 岡部元信は織田の尾張領から 今川を守り抜いていました。 で 桶狭間の合戦の折 元信だけは 織田の…

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おんな城主 直虎 40 41

武田勝頼・・信玄の庶子で 四男  異母兄で 武田家後継者であった武田義信が・・今川侵攻の是非を巡り 信玄と対立 、自決に追い込まれ 勝頼が信玄の指名で後継者と定められた。 信長の姪である正室の竜勝院殿との間に 嫡男・武王丸(信勝)が誕生する(妻は肥立ちが悪く逝去) ここで気をつけてほしいのは・・勝頼には武田家の通字 、信の字が名前に入ってない事。 嫡子で・・母が正室で公家であった義信は…