日本語になった事柄、由来 訂正版

日本語になった事柄
1 洞ヶ峠を決め込む
本能寺の変の後、明智光秀の軍と秀吉の軍が、山城国山崎において激突した。
山崎の戦い、あるいは、天王山の戦いともいう。
この時、明智、秀吉の双方から加勢を依頼された大和の大名、筒井順慶は、
山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、
最終的には、どちらに付くか日和見をしたという。日和見する事を「洞ヶ峠」あるいは
「洞ヶ峠を決め込む」といい、普通の日本語になった。勝ち組につくということである。
しかし、これは伝説らしい。

史実では、順慶は中立であり、戦わず洞ヶ峠から大和へ引き返した。

伝説は、勝敗が明白になると