「討ち入り」の日記一覧

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赤穂浪士 討ち入り

12月14日は赤穂浪士討ち入りの日 1, ライトアップされた赤穂城天守閣です。 現在天守閣はありませんが、この時期だけ天守閣が登場します。この写真は3年前のものです。 2, 赤穂城址大手門です。 40年前まで赤穂城本丸跡にはなんと、 赤穂高校が建っていました。 56歳以上の方は大手門を通って登校していたそうです。 3, 1930年代の赤穂高校です。

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十二月は「忠臣蔵」の月

ベートーヴェンの「第九」と同じように、年末になると必ずどこかで上演される歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」でお馴染みの赤穂浪士の討ち入りは、元禄15年12月14日(1703年1月30日)で、赤穂浪士が葬られた品川の泉岳寺では、現在も毎年討ち入りの日の12月14日に「義士祭」が開催されていますが、本当はこの日付は陰暦であり、今の暦では1月31日です。それはともかく、赤穂浪士が討ち入った吉良上野介邸跡は墨田区…

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赤穂浪士

12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日です 「時は元禄15年 師走半ばの14日 外は一面銀世界 突如鳴りくる山鹿流の陣太鼓・・」 現代の14日は・・10日前に真夏日だったけどやっと冬になり今朝は5℃の晴れの日です(笑)

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「赤穂浪士の討ち入り」エピソード2

元禄15年(1702年)12月14日深夜、 討ち入り。 参加者47名。 浪士たちは表門と裏門の二手に分かれて吉良邸に侵入。 上野介は物陰(一説では炭小屋の中)に隠れているところを 発見され、討ち取られます。 吉良邸は不意を付かれたためほとんど無抵抗の状態で、 討ち入り側には一人の死者も出ていません。 討ち入りに参加したのは次の面々です。 大石内蔵助良雄 吉田忠左衛門兼亮 原惣…

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「赤穂浪士の討入り」 エピソード1

12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日です。 元禄15年12月14日の晩(今の時刻では15日の午前4時頃ですが、 当時は明け方から1日が始まる感覚があったので14日深夜と考えます) 赤穂浪士47名が吉良上野介邸に押し入り、 上野介を殺害して主君の仇を討ちました。 この事件は「忠臣蔵」として語り継がれています。 事件の発端は1年半前、元禄14年3月14日午前11時頃のことです。 …