「川端康成」の日記一覧

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ありのまま…とは

…ふと、こんな日記が目についた。 ☆☆☆   幼児のときに愛されるということは   自分のありのままを認められるということ   だから等身大で生きることができ   みんなと仲良く暮らしてゆける   しかし愛されなかった幼児体験を持つ人たちは   他人に合わせるようにして   いつも道化や仮面をつけて 窮屈に生きてきた   とても苦しかった。   私の居場所は いったいどこに在るの? ☆☆…

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川端康成の書斎

茨木市立川端康成文学館には、書斎のコーナーがある。そこでは、康成が昭和21年(1946年)から亡くなる昭和47年4月まで暮らした鎌倉・長谷の家にある書斎を再現している。 正面には、庭の様子もわかるように工夫されている。部屋の真ん中に仕事机があり、執筆に必要なペンや原稿、眼鏡、辞書の他に、呼び鈴代わりに使用していた密教道具の五鈷鈴(ごこれい)などがある。屑籠には、志賀直哉からもらった魚が入ってい…

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茨木の川端康成が育った家

以前の日記で、ノーベル賞作家が育った家の跡地の報告をしたが、今回川端康成文学館で、茨木時代の川端康成の家についてもっと知ることができた。 大阪市北区天満の医者の家に生まれた康成は、結核により父を2歳のときに、同じ病気で母を3歳のときに亡くしている。3歳で大阪府三島郡豊川村(現茨木市宿久庄)の祖父母の家にひきとられた。 7歳で豊川小学校に入学したが、その年に祖母が死去し、15歳まで祖父と二人で…

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茨木市立川端康成文学館

過去の日記で、川端康成記念館は鎌倉にあり、大阪にはないと報告したが、本当に茨木市にないのか、気にかかっていた。 最近ふとしたことから、川端康成は茨木市の名誉市民であり、茨木市に川端康成文学館があることがわかった。 昨日やっと訪問することができた。 川端康成は、昭和43年(1968年)に日本人で初めてノーベル文学賞を受賞している。それを機に、同年11月に制定された茨木市名誉市民表彰条例により、茨…

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茨木市ハイキング(その1)

昨日、近所のハイキンググループで隣の茨木市の推奨の鉢伏ハイキングコースを辿った。前回は、キリシタン遺物資料館に行くことができたが、今回の見どころは、川端康成の生家旧跡と郡の宿の椿の本陣であった。 大寒の前日で、冷え込んで田圃や池に氷が張っていた。最初の目的地の鉢伏山は、標高約300mの山で、見晴らしの良い日には大阪市内から生駒山系が一望のもとに見渡せるのであるが、残念ながらはっきりとした眺望を…