「サラエボ」の日記一覧

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【海外旅行記】サラエボの旧市街―水飲み場、旧職人街、第一次世界大戦の発端となった皇太子襲撃現場!

サラエボ市内を歩いていると一見穏やかです。 観光客が集っているのは旧市街の水飲み場。 近くには職人街があって、入り組んだ路地が今やカフェ、土産物店となっています。 また、第一次世界大戦の発端となったオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子襲撃事件があったラテン橋もすぐそばです。 旅行写真35枚を、HP「海外を旅してみたら、こうだった!」にアップしました。 http://ikokuno.web.f…

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【海外旅行記】サラエボ―紛争の秘密トンネル、そしてバラは血の色だった!

ボスニア紛争の傷跡はまだ残っています。 包囲されたサラエボ市民が掘った秘密トンネル、殺された市民が流した血の跡に赤い樹脂を埋め込んだ場所はサラエボの薔薇とも。 また、サラエボが経済的な繁栄の絶頂期に開催された、1984年サラエボ・オリンピックのボブスレー施設は捨て置かれていました。 その写真19枚を、HP「海外を旅してみたら、こうだった!」にアップしました。 http://ikokuno.w…

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【海外旅行記】サラエボの「スナイパー通り」に、まだ残る銃弾痕、廃墟

ボスニア紛争から23年。 サラエボの「スナイパー通り」は、紛争中、セルビア兵が高層ビルに潜み、大通りで動くモノは何にでも銃弾を撃ち込んだといわれています。その様子をニュース番組で視聴した方もおられましょう。 その大通りは「スナイパー通り」。 トラムに乗ったり、歩いたりして、みました。 その写真21枚を、HP「海外を旅してみたら、こうだった!」にアップしました。 http://ikokuno.…

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4年前、今日、そして未来

4年前、ワニャは、我が家にいました。日本の家庭に滞在してみたいと、オランダのアムステルダムから我が家にやって来ました。私がサラエボへ行くきっかけを作ってくれた人です。 彼は大きな劇場の舞台に立つ俳優さんですが、4歳の時、戦後最大の市街戦に陥ったボスニア紛争真っ只中のサラエボから家族で脱出した経験を持ちます。人間を分断する戦争とは何か、その現場を見てみたい。思いは叶う、それはこの2年後に実現しま…