「記念碑」の日記一覧

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☆地元で発見!合算された記念碑群【小路村役場跡地】

もともとあった場所はアバウトながら碑は棄てられず残してもらえたことに感謝です 「小路耕地整理の記念碑」「片江村の宮跡碑」「春高稲荷社蹟碑」 確かに3つしっかり現認できましたよ 稲荷神社は近くの「清見原神社」に合祀されたようです 私が住む旧片江村はこの碑から北に今里方面に広がる村になります ◎大阪メトロ生野区「小路駅」からは徒歩2分

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☆映画「おろしや国粋夢譚」の主人公が船出した港を示す記念碑【大黒屋光太夫出帆の地】

三重県鈴鹿市白子港がその場所になる 光太夫は江戸時代後期嵐によりロシアに漂流してしまった その後、艱難辛苦を乗り越え日本に戻り当時のロシアを初めて紹介したことで知られている たいそう立派な記念碑が建てられており郷土の偉人としての姿が現認できる ◎近鉄「白子駅」から南に徒歩20分

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☆意外な場所で著名な落語家の実績に触れる【五代目桂文枝之碑】

大阪市内中心部で有名な古社「高津宮」その境内を何気なく散策する 目立つ記念碑あるから近づいてみたら桂文枝のブツだった 高津さんで開催されていた落語会の中心メンバーだったのが文枝さんだったそうだ そんなご縁からこうして立派な碑が建てられたわけなんですね 本人の持つ人間力というか人徳がこうして結実するなんてえぇ話や

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☆諸説あるようだがどの説もロマンに溢れ捨てがたい【鶯塚】

「長柄の長者の娘が死んで鶯が悲しみのあまり後を追うように死んだので塚を作った」といういわれが最も的確だろうね 椋の古木を取り囲む朱の鳥居が鮮やか 周りの喧騒から逃れここだけが孤島のような佇まい 地域の人々によって大切に護られてきた歴史を感じる 清々しい気分で一休み天六からの歩き旅は奥が深い

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☆文学の鬼と呼ばれた奇才が眠る記念碑【宇野浩二文学碑】

大正から昭和初期に活躍した作家だが恥ずかしながら私は無知だった 児童公園(中大江公園)の片隅に人知れず設置されてあった マップにあるスポットは全て記録が基本方針後々思い出に化ける ◎大阪市内「天満橋駅」から南に徒歩10分

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☆大阪都心部で遭遇なにこれ!的な史跡【大坂町中時報鐘】

三代将軍家光の時代までさかのぼるようだ 付近の町民が鐘楼を建て時刻を打ち鳴らした 明治になり撤去されたが地元有志の尽力により昭和60年に復活した 現在では一日三回鐘の音を響かせている ◎大阪市天満橋駅からすぐの場所で見つけた穴場

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☆マップに記されたポイントはくまなく調査カキカキ【古代大輪田泊の石椋モニュメント】

神戸市兵庫港の一角に設置された記念碑いまいち意味が掴めなくても素直に指示に従い記録に綴る この条件反射的な町歩き調査が私の持ち味だ 何のため誰のためとかは無関係そこに被写体があるから撮し無駄口をたたく 自己満足しかない己の姿は笑われるしかないが本人だけはいたく真剣

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☆大塩平八郎は乱のあと生き延びた説の重要な根拠ここにあり【秋篠昭足墓】

大阪上本町に近い「龍淵寺」境内にガラスケースに入れられ彼の墓が保存されていた 乱のあと大塩平八郎の逃亡を手助けした縁者が秋篠昭足だと言われている 河内に逃れそのあと海沿いに天草へさらに清国に潜伏ついには大塩親子はヨーロッパに渡ったとある 真偽を確かめる資料乏しいが壮大なるロマンがあって楽しい気分に成れた このお寺何故だかタヌキに凝っていて置物多数面白い

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☆上方文学の天才この地にて果てる【井原西鶴終焉の地碑】

谷町筋沿い谷町四丁目駅近くにあるこの碑は没後300年を記念して平成5年に設置された せっかくの史跡巡りが放置自転車の妨害?により不完全燃焼なのがやや残念 でもでも大阪の歴史をより深く知りたいと願う心に一点の濁りもなく私の旅は続く

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☆京都大学の源流がこの地だとは驚きの真実【大阪英語学校跡碑】

大阪谷町筋沿いにある記念碑何気なく読み上げるとえぇそうなんや!みたいな食い付きが生まれた 明治22年に京都に移転し第三高等学校となったとある それだけなら話が発展しないがその高等学校が現在の京都大学に繋がると聞くと心持っていかれる 無駄に長い年月生きて来たみたいに思え無知な自分が面白いとさえ感じてしまうね

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☆見向きもされない記念碑目当てにサクサク歩き回るマニア人【阪神高速道路開通記念碑】

昭和39年に土佐堀から湊町が部分開通した この記念碑は20周年を記念して立てられたものだ 阪神高速高架下脇にひっそりとありまるで目立たない ぶっちゃけターゲット指定に組み込み歩く旅人は私くらいなもんだろうね ◎大阪メトロ「肥後橋駅」下車

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☆地域ならではの記念碑見つけたからには日記にカキカキ【泉州たまねぎ栽培之祖碑】

明治4年アメリカから輸入されたたまねぎは先ず北海道にて栽培に成功 かなり遅れたが泉州では明治17年本格的にスタートし努力が実り地域の名産品となった 泉南田尻町の街角にあったこの碑にこれほど食い付くのは私くらいかな 書かれていた文字はまったく読めないが先人を讃える心意気はビシバシ伝わり心地よい

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☆そう言えば日中友好の機運高まった時代確かにあったあった!【日中友好の記念碑と天響楼】

京都市上京区にある大寺院「相国寺」散策中に見つけてしまった 今ではギクシャクしまくりな両国の関係だがそんな時代があったと改めて気づいた 政治的な話は置いといて「日中友好の記念碑」しっかり確認いたしました その横には平成23年に中国の寺院から贈られた「天響楼」こやつは渋すぎる釣り鐘柵がなければ密着して拝見したかったわぁ