「看板建築」の日記一覧

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看板建築を模し、イキイキとした色彩の「勝運商店街」(亀戸)

街歩きはブログに443回、アップしています。 http://hamidashirakuen.blog36.fc2.com/blog-category-47.html 蔵前橋通りと明治通りが交差する四つ角を亀戸天神に向かって歩くと、「香取大門勝運商店街」がある。覗き込むと、看板建築が並んでいた。なんだか、シンガポールのカトンにある建物の色彩のように鮮やかだ。 シンガポールのカトンを散策した旅行…

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三軒茶屋の看板建築…貫禄、凛々しさ、三軒長屋!

ビルの間にひっそりと佇む看板建築はいとおしい。まるでタワーマンションに住めず、ヒルズにあるオフィスにも通えなかったワタシのようだから……? 看板建築を愛でるなんて野暮天かもしれないが、三軒茶屋を歩いてみた。 その写真を4枚、ブログにアップしています。 http://hamidashirakuen.blog36.fc2.com/blog-entry-5604.html 「セントパックスカフェ」…

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変化激しい飯田橋界隈。微かに残る看板建築!

JR飯田橋駅周辺の変わりようは凄まじい。 変れ、変われと天の上から号令をかけられているよう。建物は高層になり、店の看板はカタカナ語とローマ字。歩くワタシは日本の特価品。ちっとも変っていない。足は短いし、血圧だって高いまま変化なしだ。 現実は苦い! 変らない街を求めて歩いているのに、変ってしまった街に迷い込む体たらく。建物からも、看板からも冷たい視線を感じて苦しくなる。青汁を飲んでいる時のように…

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九段下に残る看板建築…そこのけそこのけ開発が通る!

靖国通りから一歩入ると、粋な路地。そこに看板建築が2軒残っていた。 近く取り壊されるという建物をみていると、涙がでてくる。ワタシの髪を思い出して。残り少ないモノは貴重だ。特に、九段下の看板建築は……。 開発はアイスクリームみたいだ。食べた時の美味しさも、なくなってしまえば忘れてしまう。 「寿司政」(九段南1-4-4)。 間口は二間。狭い店が並んでいたのだろう。東京の中心街に看板建築が残って…

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入船から八丁堀、茅場町へ…看板建築を見に散歩!

地下鉄、日比谷線、八丁堀駅から新大橋通りを亀島川に向かう。 木々の緑が濃くなり、春が確実にやってきた。だが、ワタシの身体を四季に例えるなら、冬をすぎて枯れ果てた季節になる。 それでも歩く。 中央小北の交差点の近くに看板建築(入船一丁目5-1)を発見。 店舗が3軒入っていた。ちょうど昼食時、サラリーマンが出入りしている。彼らはこれから春があり、夏を迎える。 新大橋通りに戻って、八丁堀の交差点…

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浅草橋3丁目の看板建築、リノベカフェや転用工場!

これまでの浅草橋三丁目散歩日記はここです。 http://hamidashirakuen.blog36.fc2.com/blog-entry-4468.html 最近、浅草橋を散歩してみたら、何軒か看板建築を発見したので紹介します。 カフェ「こもれび」(浅草橋3丁目4-4)はかっての看板建築をリノベしていました。 浅草橋3丁目22まで来ると、工場が。元々は看板建築のよう。 旧い表札を掲げた家…

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柳橋(台東区)の看板建築…ベンガラ色「昇玉」の大迫力建築!

JR浅草橋駅前の江戸通りから一本隅田川の方に入ると一気に静かになる。人形問屋がひしめいている路地だ。 ベンガラ色に塗られた看板建築が圧倒的な迫力だ。「人形の昇玉」(台東区柳橋1-24-2)はモルタル人造石洗出し仕上げ。竣工は大正末から昭和初期とのこと。 近くの柳橋1丁目32の看板建築は中国料理店だったらしい。 お化粧が施されている。 柳橋2丁目まで来ると看板建築が残っていた(2丁目13-1…

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高輪三丁目から芝五丁目、虎ノ門三丁目へ…昭和の名残り看板建築!

JR品川駅を出て、第一京浜を泉岳寺方面へ5分ほど歩いたところに、「三徳部品」(高輪三丁目22 大正末から昭和初期築)がありました。自転車部品屋です。世の中はふさわしいものがある。銅板に緑青。ワタシに筋肉。学者にノーベル賞。女性におしゃべり。ここは銅板壁が美しい。 高輪公園に向かって歩いて、東善寺境内を散策した後、かなり急な石段をみた。息を切らさず登りきると旧竹田宮邸があった。 このあと芝五丁…

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日本橋小伝馬町から日本橋大伝馬町、日本橋久松町の看板建築、昭和の建築をみる!

ワタシは先をみるタイプだ。街歩きをするのは足腰を鍛えるため。三途の川を渡るときに、「お前さん、足が弱いねえ」なんて注意されたくないからだ。死んだあと後悔したくないもの。 この日はJR総武本線の「新日本橋駅」から歩き始めた。 昭和通りを横切り、浅草橋に向かって歩いてゆくと、左側に「奈良ブラシ店」(小伝馬町4-10)がある。活躍している年代物の建築を応援しながら通り過ぎる。 地下鉄「小伝馬町駅」…

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日本橋本町四丁目の看板建築…モノトーンの床屋、風見鳥のあるカフェ

ワタシはなんと度胸のある男だと、自分を誉めたい。 他人からみれば分別があるとは思えない行為とも言えそうだが……。 新型コロナウイルスが蔓延しているのに、外出しているのだから。マスクをつけて歩くのだから、実は小心者だ。 昭和建築を見上げるために外出した。あなたが、さよならブルートレインを見に駅に出かけた気持ちと同じかもしれない。気持ちがウキウキする。昭和の時代に育ったものだから、古巣に抱かれたよ…

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【看板建築】を見に、稲荷町から合羽橋をぐるりと浅草まで!

「東京で一番美しい景色が見えるところは東京スカイツリーだ」 「?」 「そこに登れば、東京スカイツリーが見えない」 東京スカイツリーの展望デッキに上るのに3000円もかかる。美しい東京を見るにもお金がかかる。世知辛い世の中になったものだ。 地下鉄、稲荷町で上に上がるとやはり東京スカイツリーが見える。 目を伏せて浅草通りを行く。稲荷町交差点を東上野3丁目方面へ。二つ目の信号を右へ入ると昭和の時代が…

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築地6丁目、7丁目の【看板建築】、緑青が街を彩る!

地下鉄、築地駅までは乗り換えなしで行ける。 自慢するようで気が引けるのだが、電車に乗ると必ずモテてしまう。女性が手を取って、こちらにおかけください、と。 この日は全然モテなかった。なぜだろうと思っていたら、空席ばかりで腰を下ろしていたからだった。ひとつ空いた席から、おばさんが「元気ですね」と声をかけてくれた。実際は「息をしていますか?」と声をかけたいのだろうが、お世辞だろう。 ワタシの日記に…

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神田須田町から神田小川町の看板建築!

気持ちのよい日が続き、街歩きも気持ちがよい。 さて、JR秋葉原駅をでて神田須田町へ。柳原通りへ足を伸ばします。 「海老原商店」は昭和3年(1928年)の建築。時が止まったような雰囲気です。 近くの「岡昌裏地ボタン店」は昭和3年(1928年)の建築。木造2階建て、外側は銅板となっています。この通り(柳原通り)には、「岡昌裏地ボタン店」と同じような緑青をふいた店が並んでいたのだな。 路地を入…

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人形町の看板建築を巡ってみた!

地下鉄、人形町駅から小伝馬町寄り出口を上がります。 交差点から1本入ったところに左官塗り系の旧「一誠」(日本橋人形町3丁目4-13)があります。品格を感じます。 水天宮の方に向って歩きます。左手に旧「伊勢利」(日本橋人形町2丁目6-10)。昔はトロフィーを販売していたようです。 旧「伊勢利」の隣りはすき焼き「日山」(1927年)。両隣のビルに圧迫されそうです。 水天宮の交差点に近づいたとこ…