「自己」の日記一覧

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真実

色んな人が色んな事を喋っている テレビの中で ラジオの向こうで 開いた雑誌の中で バスの中、向いの席の人が読んでいる新聞の中で どれが真実? 何が本当? 誰を信じれば良い? 評論家の解説は どれも当たり前の事を もっともらしく言っているだけ 学者は簡単に言える事にさえ 難しく理屈をつけようとしている 官僚の釈明は いつも抜け道を作っている 政治家の公約は 嘘を大義名分…

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例えば

例えば 何かに躓(つまづ)くと 自分は悪くないって 他人のせいにしていない? 仕方ないって自分を慰めていない? 何かに躓いた時って 見えている風景が 変わる瞬間でもあるんだ それはもしかしたら 本当はすごくラッキーなことで そこに新しい運命が 待っているかもしれないよ 例えば 何もしないうちに 自分で可能と不可能を 分けてしまっていない? 無理だって自分で…

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何の夢を・・・

1年ほど前だったろうか、書店で鈴木俊隆禅師のアメリカでの布教活動の逸話を集めた『禅は、今ここ』という書を偶然手にした。それ以来いつも傍らに置いている。 またまた偶然だが、別の書店で、1ヶ月前ほど前に、鈴木老師の講和集の体裁の本『禅マインド、ビギナーズマインド』を見つけた。探していた訳ではなかったのだが、読みたいと思っていた。いや無意識の領域で出会いたいと願っていたことが実現したのだろうか。 …

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柄でもないのだが・・・

人生の悩みのようなものを、よく人から相談される。 本心は、そんな柄じゃないと思っている。 でも悩みや話を聞くうち、相談者の話に、 ある傾向を感じることがある。 それはバッサリといってしまうと、頭デッカチだ。 頭のいい人ほど頭デッカチだ(ま、当然かな)。 イライラするほどそのことがらを感じることがある。 とくに、こりゃ病気じゃないかと思うくらい、 完璧な納得、完全な理解を追いもとめる人たち。 …

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生きる (自分のためのメモ)

ボクたちの思考のほとんどは、 自分中心的な立場からおこなわれている。 つまり利己的ということだ。 自分はなぜこんな目に遭うのだろう。 なぜ苦しむのだろう。 どうして損ばかりしているのだろう。 驚くべきことに、この世で恵まれた人、 生まれながら裕福である人、 幸福な家族に囲まれている人も やはり悩みを持っていて、 もっとお金を持ちたいとか、 もっと気の合う人とめぐり合いたい、 などと考えている。…

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自分の価値が・・・ (自分のためのメモ)

自分には価値がないとか、重要感が感じられないとか、 つきつめた悩みに苦しむ人がいるらしい。 その苦しみの話しを聞くたびに、ボクは妙な気持ちになる。 むろん悩みに応えることなど自分には出来ない相談だが、 と同時に、なんとも居心地の悪い気分にさせられる。 理由はなんだろうか。 それを考えるときに、 道元禅師のことばが、自然と浮かんでくる。 『自己をはこびて万法を修証するを迷とす。』 (正法眼蔵 …

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本能

良くも悪くもですが 人間には 忘れるという能力と 慣れるという能力が備わっています 例え、無意識だとしても 忘れるという作業をすることで 人間は心のバランスを保とうとし 慣れるという作業をすることで 人間は環境に適応しようとします それは 生きる為の本能と言っても良いのでしょう ただ どちらも 人間に備えられた大切な能力なのですが 現実には 忘れて良いことと 忘れてはいけない…

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似てる

もしかして 寂しさと片想いって似てるのかもね 「どう言うことだい?」 だってさ 切ない想いをするのはいつも自分だけだし そして いつかは誰かに自分を解って欲しいって願ってる 「なるほど。  その意味では確かに似ているかも知れないね。  そして、どっちも自分の側の問題だしね」 そうなんだ そこから一歩を踏み出さないと どちらも解決しない 自分独りで悶々としているだけじゃね 「…

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すでに持っている、すでに (自分のためのメモ)

中国唐代の禅僧、香厳和尚はとても頭のいい方で、博学才英のエリートだったらしい。しかし修行しても心境が進まない。師匠から、お前は頭が良くて、なんでも頭で分かろうとするから悟れないのだと言われてしまう。そこで持っていた山のような書籍をすべて焼いてしまった。それでも修行は進まなかったようである。 自分にはその才がなく、もう修行もやめようと絶望して、師匠の元を去った。そののち尊敬する忠国師の遺跡のお守…

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趙州和尚のお茶 (自分のためのメモ)

臨済禅師の直接的な教示もスカッとして気持ちのよいものだが、趙州禅師のさらりと道を説くその味わいも好きである。 好きな逸話に、喫茶去という有名なお話がある。 趙州和尚ののところを初めて訪問してきた修行僧に訊く。 「こちらに来たのは初めてかな?」 「初めてきました」 「では、お茶を飲んでいきなさい(喫茶去)」 べつの機会に、やはり趙州を訪ねてきた修行僧に訊く。 「こちらに来たのは初めてかな?」 …

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自分という存在への断章

お気に入りさんの日記コメントのやり取りで、 ズバリ自己の存在とは何かと問われてしまいました。 なかなか難しい質問ですが、そのとき関連した2つのことを 思い浮かべました。 直接の答えにはなりません(自分にもはっきり分かっていないためでもあります)。 しかし答えを想像していただけたらと思います。 その1:人間は死んだら消えてしまうのか? これは純粋に科学的な見地から考えて見ます。 この宇宙を構成…