「父の思い出」の日記一覧

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満蒙義勇兵

父は13歳の時、学校で義勇兵の募集があり応募して大陸に渡った。 現地名は満州黒竜江省班代屯町野郷。 団長は村長で獣医の篤農家の仲泉六郎氏(小生の同級生の祖父) 昭和20年8月27日、70余名全員の自決を介錯し、翌28日自決した。享年56歳。満蒙義勇兵の慰霊碑は上時国家の前に建っている。 父は母の葬儀のため帰国しており無事であった。 石川県庁で、写真前列2人目が父。

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父の日

スーパー勤務の者にとっても上期1番の売り上げ目標を目指す「父の日商戦」 実父も義父も他界しているので、父に何かを贈る事もなく何となく思い出すくらい(笑) 私が33歳の時に66歳で逝ってしまった実父。 背がちっちゃくて黒縁メガネ、タバコが大好きで両切りピースなんて吸ってたから喉頭癌…。 当時4歳と1歳の子供たちもおじいちゃんの記憶ほとんどない。もっと長生きしてほしかったな。 今日…

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父との思い出

 僕と、一生を小学校教師として亡くなった父との思い出は、父の小学校教師として小学生を教えていたのを、同じ小学校の生徒として見ていた思い出と、父が亡くなった時、父の遺体と対面し、僕自らの人生を振り返って、僕自身の人生行路を父の生き方を思い、父の生き方を真似るべきだと決断したときの、2つの思い出が強く印象に残っている。   最初の、父が小学校教師として、僕と同じ小学校に勤務して居た時の思い出は、ま…

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父の宝石箱

今年2月に父親がなくなった。 89歳だった。 片付けは終わっているけど、手元に宝石箱と書かれた箱があり、中身は ネクタイピンとカフス お父さん どうみても、お宝にしては しょぼいよ。。。 手書きの箱からしてしょぼいってば。 工場勤務の父には、ネクタイは ほぼ無縁。 結婚式やお葬式ぐらいだった。 一度は、ゴミ箱に捨てたけれど また拾って 引き出しに。。。 宝石などなくても、父はわたしにとっ…

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思い出の古い本

お気に入りさんが「歌謡曲『歌の旅』」というシリーズで美しいPhotoと共にいろんな歌を紹介していらっしゃいます。 先日は「伊豆の踊り子」の歌と共に天城峠の一高生と踊り子の銅像のPhotoをアップなさってました。 懐かしくなり、本棚の奥から表紙の色さえ変わってしまった古い川端康成の文庫本「伊豆の踊り子」を取り出し読みましたが、そのうち私が初めて読んだ彼の小説「抒情の翼」を思い出しました。 父が…

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バナナ~一枚のはがき~

4Fの和室の窓から見えたのは 真っ黒な廃墟。 それが原風景。 団地住まいの2歳のころ なぜか団地の周りはシロツメクサが咲くが 遠くに行ってはいけなかった。 火事があったとか、土地が開けてないとか そういうレベルでなく もしかすると 戦争の名残だったのかもしれない。 狭い室内の収納扉をそっと開く。 そこには 大きささまざまの箱がたくさん積んである。 知っている。 それはすべてチョコレー…

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父と空母加賀

父は海軍の職業軍人でした。 空母加賀に乗っていました。 ミッドウェイ海戦で撃沈される前年、空母内の事故で下船せざるを得なかったそうです。 父は一切戦争の話はしませんでした。 10月17日アメリカのIT企業大手Microsoft関連社が海底5400メートルで加賀を発見のニュースが飛び込んできました。 父は負傷し《僕の人生は終わった》と母に言ったそうです。父は少し《パタン パタン》と歩いておりま…

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片付けられない。

図書館で断捨離本を借りて読んだ。 断捨離関係の本は過去にたくさん読んだ。 その本を手に取るたび、片づけなきゃと思う。 一昨年マイブームだったのはときめく片づけ。 近藤麻理恵さんのおっしゃる通り、あまりリバウンドはない。 だけど最後までは終わってなくて、思い出の整理のところで止まっている。 写真を整理できないでいる。 なんせ膨大な数の写真がある。 おもに息子。娘のものは少ない。(二人目だから…