結婚した娘が子供を産んだあとに起きること、起きたこと。 誰にでも起きるわけじゃない。 ただし、起きたときにはその対処に重々気をつけて欲しいと思ったのでシェアしておく。 こればっかりはURLを知っている身内、家族には知らせられない。 だからここに書きます。 どういうことかというと、 子供が産まれてママ(娘)も乳児も入院期間を順調に過ごし無事退院ができて喜んでの1週間が過…
関東大震災も乗り越え、母屋も新築して42歳で昭和を迎えて子供たちも大きくなって行った。次男の父が家の後継ぎとして農林学校を卒業して農業に従事した。祖父は相変わらず畳屋との二刀流で充実した生活を送っていた。自分は十分な教育も受けられなかったが、子供の教育には熱心だったようです。三男は三重の高等農林の土木科に進学させているが、その自慢の息子は卒業後に製糖会社に就職して台湾の工場建設に従事していた。…
私の祖父は私が3歳になった8日後の1947年(昭和22年)の3月4日、ひな祭りの翌日に父とジャガイモの植え付けに行っていて、気持ち悪くなり脳溢血でその日のうちに他界した。父がおんぶして来たのだけは鮮明に記憶しているが、それ以前の遊んでもらったような記憶はない、時に64歳で当時としては普通だったようです。 さかのぼること64年前といえば1983年(明治15年)の誕生ですね。祖父が2歳の3月に我…
我が家の先祖がこの地に暮らすようになって、今年で480年になるようですが、その間の変化と災害は想像すらできません。身分制度や富士山の噴火・大震災に国家間の戦争など戦国乱世を乗り越えた重みを感じます。 その中にあって、明治17年の3月に火災で我が家が全焼し、当時は家族同然の愛馬が焼死しています。敷地内に馬頭観音の碑が翌年に建立してあります。今から135年前、多分火災保険もなかった時代にすべてを…
祖父が亡くなって数日すぎた、ある昼下がりのことでした。玄関前で釘打ちをして遊んでいた私の耳元に母の悲鳴がとびこんできました。 靴を履いたまま、あがりかまちを跳びこえ、奥の部屋へ走りました。母は祖父の茶色の背広を膝の上で握りしめ、嗚咽していました。 しばらくして、泣くのをやめた母は、背広の内ポケットに入っていた紙幣の束をつかみだし、私に見せました。百円札も何枚か混じっていましたが、ほとんどが千…
私の母は88歳・・・元気な母 最近は母のところへ行くようになってきて (今まで、13年前の父の相続問題で色々、ゴタゴタがあり、少し疎遠になっていた) 母と色々な話をする。 今まで漠然としか知らなかった、母の血縁者のこと 関係、色々がわかることが話の中で出てきた。 母の父は(私の祖父)孫の中で唯一、女の子の孫が 私と妹だったので良くかわいがってくれた。 この祖父はお酒大好きで、私が物心付…
昨日は祖父が1947年(昭和22年)に他界した命日だった。1983年(明治16年)生まれで64歳だった。 2月24日の私の誕生日から約3年で、私のはっきりした記憶がこの日から始まっている。それは父がジャガイモの植え付けに行って、今で言う「脳血栓」で倒れた祖父をおぶって連れてきて、自宅の布団に寝かせた。そのまま、意識は戻らずに前日の節句が元気だったのが嘘のようだったそうである。 2歳の春に自…