妙好人の源七は ''ハッキリとした信心’’を求めて あちこちへ訪ね歩くのだが、 その道中で知り合ったおゆきさんという 篤信の同行にこうアドバイスを受ける。 「これからの旅の中で いよいよ信心を得たなあと 思うようなことがあったら 如来様聖人様とはお別れだと思うがいい。 元の姿で旅を終わることになったら ご請願通りであり、 如来様聖人様はお喜びのことだろう。」 いったいどういうことを言っている…
いのちの世界 他力によって生かされ死なされていく世界 生死一如 先日、 これらに対して 納得を求める自分の姿勢の誤りに気がついたのだが、 もうすこし丁寧に言うならば、 次のようになる。 上述の事柄は 悠久の昔、はるか以前から 厳然と存在している世界である。 もともとそういう世界が存在していて 自分はあとからやってきたにもかかわらず、 身に沁み込ませなくちゃとか納得しなくちゃ などと追い求め…
色々と四苦八苦をして やっと出来たと思ったけど 何処かシックリとこないところがある ここを直して あそこを直して・・・? 何とか体裁は整えたものの やはり何処かまだシックリこない それはそうだよね 体裁を整えたというのは ただ形を整えただけなんだ シックリ来なかった原因を解決した訳ではない いくら形を整えたからって それで納得が出来ないことは 自分が一番良く分かっている そ…
わたしには、 自分の頭の中で勝手に解釈判断して 物事を決める癖がある。 いわゆる「ひとり相撲」だ。 いい解釈ならまだマシだが、 問題となるのは、だいたいにおいて、 悪い方へ解釈するときだ。 習いごとなどで、 先生があのような態度をするのは 私を疎ましく思っているに違いない、 と勝手に解釈し、 ここにいてはいけないんだと判断して 辞めてしまうということが度々あった。 先日の日記にも書いたが、…
私の「信じていたというけれど」(7月2日)の日記に キリスト教徒の方がコメントをくださり、 そこで一冊の本を紹介してくださった。 「隠されたる神」(山形謙二) 中古本ならさほど高くはないので、 さっそく取り寄せて読んでみた。 まだざっとしか読んでいないのだけど、 趣旨のようなものは飲み込めた。 病老死や突然の災害や障害などの不条理について、 それは神の領域だから自分には問えない という趣旨…
行ってきましたよ。 買ったお店に。 そしたらスマホ専用のアドバイザーの方がいて。 それはそれは親切丁寧に教えてくれました。 なんて親切なの?わかりやすい。 電話ではね。って話したらーーー まあ、申し訳ありませんでした。って いえいえ。そんな。私の言い方がわかりにくかったのかもしれません。 そんな感じで今まで不信に思っていたことを色々教えてくれて。 もう一度やって見ます? 覚えていますか?っ…
私の心のクセに 納得しなければ気が済まないというのがある。 これはキリスト教に対する態度にもいえる。 イエスの復活は本当なのか? これをずっと追っている。 ここをクリアできなければ 教会の門をくぐれないと本気で思っている。 ここで 自分の心の構造について考えてみたい。 納得することが そんなに大切なのだろうかということ。 納得しなければ・・・ ということは 納得したら信じてやるぞ と…