何も考えずに、ぼさっと生きたい。 家族がいる分だけ、心配事が増える。
先日 渋谷区立中央図書館に行って 五木寛之「羨ましい死にかた」(文藝春秋、12月号) が目についた 「羨ましい死に方」についての 404通の読者からの投稿を整理したら、 前回10年前の考え方に比べて死への恐怖や心配は大幅に減少して、いまの日常生活を楽しんで、死はいつやってきても 心配などしないし、怖くもないと言う気持ちの方が大半だったそうだ マージャンしながらながら、カラオケ…
歳月は「釣瓶落とし」のように過ぎて行く。 今日という日は二度と来ないので、時を逃さず、 楽しめる時には精一杯楽しもう。 時はとどまることなく流れ、 人を待ってはくれないのだから。 人間は概ね、望む状況に近づくことで「得る」 という実感、または、「得る許可を自分に出す」 ようです。それには、半年や一年どころか、 十年も二十年もかかるほうが多いような気がします。 誰しも、思…
最近思うのですが、ちょっと変でも三日我慢すると治るような気がします。 人との事も三日悩めば良い加減嫌になる。 もう良いや。 気にしない。って。 どこか痛い時も三日もすれば治っている。 そういう訳で、最近は悩まないことにしました。 人って苦しいこと長続きしないですよね。 さあさあ、忘れちゃいましょう。 なんとかなるよ。 娘にもそう言います。 収まるところに収まるようになっているから心配ない…
人間は明日の事がわからないから 生きて行けるものと考えています。 これから先の事を不安でくよくよしないために 役に立つのが「なるようになる」と言う考え方です。 でも、心配性の人には「なるようになる」の一言が 中々言えないのです。 その一言だけで楽になれるのに。 今後の人生、老後、将来になるかもわからない病気、 死など、人を不安にする要素は沢山あります。 …