「史跡」の日記一覧

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☆マップ記載なければ見過ごし確実なP内にある小さな塚【お姫さんの井戸】

応神天皇に繋がる姫の御領とされている 現在あるのはほんの一坪ほどの井戸を含む塚のみである そんな大切なものだとは誰も気付かず植木にしか見えないね 名を刻んだ石碑は近くの神社に移設されているようだ ◎平野区旧喜連村に隣接した場所、注意深く歩き見つけた

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☆目印の江戸期古民家喪失かなり残念【馬倉地蔵】

醤油屋を営んでいた「服部家」がすぐ横にあるはずなのに見つからない どうやら福祉施設に代替わりしてしまったようだ マップにある「弘法大師腰掛け石」も無念、どこかに保管されている事を願う 馬倉地蔵は馬繋ぎの場である事から命名されたと聞く 環濠はここで桝形に掘られ変化を加えてある ◎大阪市平野区喜連集落、中高野街道とここで直結している

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☆喜連村を貫く中高野街道北の出入口【北口地蔵】

広い桟敷は熊野詣での旅人の祈願、休憩の場として活躍してきた事だろう すぐ傍らには「松山橋」跡も残る 地元の方々が地蔵堂を丁寧に維持管理されている様が見て取れる ◎大阪市内平野区にある喜連環濠集落見処満載です

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☆環濠集落の境目に設けられた6つの出入口にお地蔵様が鎮座する図【南口地蔵】

大阪市内に残る貴重な環濠集落史跡「喜連地区」 6つの地蔵を丹念に拾い歩いたわけだが南口からスタートすることにした 道路拡張時に少し移動されたようだがほぼこの位置であるらしい 二つの地蔵様が並び独特の風合いを醸し出しており印象深い

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☆摂津名所にも数えられた天下の名水【清水井戸地蔵尊】

記録によると天明9年(1789年)の大坂地図にその所在が記されている 四天王寺の名水としての価値は知れ渡っていたようだ 清水地蔵尊が設置されたのは明治後期との記述がある 現在も井戸はこんこんと湧いていたが水質が変化したかどうかは不明だ 四天王寺さんから南に歩けば簡単に到着出来た

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☆赤穂と言えばでいい感じ撮影好適地【赤穂城石垣】

やはりこの界隈の絵は写し取っておかないとね 団体さんいないとこんなにも広々としているわけなんですね 赤穂はツアー客から外された感が漂いまくっておりました 忠臣蔵何回目かのブームが去って端境期なのかね? 少しばかり考えさせられてしまう赤穂旅になりました

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☆御注意くだされ春の草花全て前倒し【須磨寺 芭蕉句碑】

芭蕉句碑は花に抱かれ何かいい感じ 牡丹と菖蒲どちらも早々と満開かもね 桜~フジ~ツツジことごとく早咲きなのが今年の特徴だ 例年だと春は順次見頃を追いかけ過ごすんだが妙に急かされる ◎須磨寺へは山陽電鉄「須磨寺駅」から徒歩5分

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☆勝ち運の神社として御利益ムンムン効能絶大【大石神社】

赤穂浪士四十七士の像が並びなかなか見応えがある お参りの人々意外なほど多くて内蔵助人気の程がうかがい知れる 赤穂市内観光はひとまずここからスタートなのかな? 私のような電車旅は極少数派なわけでマイカー観光が本流、大駐車場完備が都合良い

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★裏側に回ると哀れさ充満首なし仏【両面石仏】

大和郡山城跡内の片隅に「両面石仏」なる表示板があった さて裏側にはどんな仏様がいらっしゃるのかと右手から覗く 首がないとはなんともご無体な 見なければ良かったとさえ思え目を伏せた いつから首の部分が欠けたのか知りたいような知りたくないような・・・・・・

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☆この川を利用して物資を運んだと思うと思考は時を駆ける【平城京西市船着き場跡】

またしても私の妄想が始まった さてどんな船着き場で人がどれだけ行き交ったのかとかね 今も昔も人の営みは変わらない 偶然私は昭和~平成~令和の時代に生きているわけだが何回目の生まれ変わりなんだかね? もしかしてもしかして何代か前には平城京の片隅をワラジばき姿で歩いていたかもね 庶民だと思うし文字は書けず読めずでも口だけは達者やったりなんかして 小さな史跡の前…

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☆貴重な戦争遺産と書けば良いのか先人の功績に敬礼【真田山陸軍墓地】

明治2年に開設された我が国最大級の陸軍墓地が玉造「三光神社」の裏手に広がっていた 西南戦争、日清日露戦争、太平洋戦争における殉死者がこの地に葬られている 5100基の墓碑が整然と並ぶ様は気品に満ちて圧倒される こんな隠れたスポットがこの場所にあるなんてほとんど知られていないだろうね 毎月第4日曜日には墓地案内ツアーが実施されているし一度は体感してみたいものだ ◎…

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☆火災でこの門まで消失かと早とちり【守礼門】

琉球王宮火災の衝撃は物凄かった 大阪に居たらいったいどの範囲まで被害を受けたのかがわからなくて来るまで不安だった 完璧に燃え尽きた宮殿は復旧工事がそろそろ本格化するらしい 40年前に一度見たきりだが復活が待ち望まれる ツアーバスはホテルを出て真っ先に到着、混雑していない超有名観光地はめちゃ得した感に包まれ撮影にも力が入った

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☆先人達の功績を讃え設けられた記念碑前で当時の苦節を知る【大和川付け替え記念公園】

大阪中心部に氾濫被害を繰り返しもたらした大和川 300年前幕府に何度も足を運び歎願の末このプロジェクトが決まった そしてこの暴れ川を人家の少ない地区に付け替え大阪湾へと流す大事業に果敢に取り組んだ人々がいた NHKならまるで「プロジェクトX」そのもののこの難工事には多くの人的犠牲を伴い完成したか容易に想像がつく  何かの御縁で前を通らせていただいた歩く旅人Aとしてはせ…