「史跡」の日記一覧

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☆古代の豪族阿倍氏の氏寺跡がこんな場所に!【阿倍寺塔心礎】

大阪西成区天下茶屋公園内に人知れずある史跡 阿倍寺自体は違った場所にあったようだが塔心礎石がここに移設されたようだ 史跡ファンとしては小さな事からコツコツと記録に取り置きするのが楽しみなのだ ◎ここに到着するなら天下茶屋駅より大阪メトロ「岸里駅」が近い

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☆名前の由来となる史跡が遺されている事に気付く人は意外に少数派【天下茶屋跡】

太閤秀吉が千利休に茶を点てさせあまりの美味しさに「恵みの水」と感動したそうだ この事から由来して「天下茶屋」と呼ばれるようになった 昭和20年の戦災で消失するまではこの地に広大な御屋敷が現存していたと聞くと無念でならない 今は往時を物語る土蔵とクスノキが静かに佇み歴史の重みを物語る ◎南海高野線「岸里玉出駅」からのアクセスが便利だと思われる

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☆これはもう表示が無ければ何が何だか【佐太陣屋跡】

河川交通の要だった守口市佐太郷には陣屋(役所)が置かれた 年貢米納入、特産品集積、金融業務も行っていた 残念ながら陣屋の存在を示すものは何一つ残されてはいなかった 表示板すら雑草の中でもがき苦しんでいるように見えた

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☆街道の存在を誇示する地味ながら大切な史跡【平野街道道標】

生野区桃谷、昔風に言うとここが猪飼野ど真ん中 『猪飼野保存会』なる建物の右前にこれがあった 『右 八尾 久宝寺 信貴山』『左 大坂』と刻まれている 年号から1866年に設置されたものと解る ビックリするほど貴重なものではないにしろ出会えたご縁に感謝するよ

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☆♪銀座銀座銀座♪夢の銀座物語【大阪銀座跡】

生野・石見銀山で産出した銀はいったん銀座に集められた そして京都に送られたようで1608年から明治維新までその役割を担った それはいいとして重要な碑なのにビルのフロア案内板の下に飲み込まれるような具合が悲しい よく見て歩かないと見過ごす恐れあり御注意くだされ ◎私は北浜から歩いたが松屋町筋からのアクセスが便利だと思われる

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☆鶴橋の名前は日本書紀まで遡り由緒正しき命名実話【つるのはし跡】

文献上かってここに架かっていた『つるのはし』が日本最古の橋だと言われている 桃谷商店街を東に突き抜け少し歩くと遭遇出来た 打ち水がしてあり朝からしっかり管理してあるね 1940年に旧平野川が埋め立てられ廃橋となった 『しのぶれど人はそれぞと御津の裏に渡り初めにしゐかい津の橋』という小野小町の歌碑がある

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☆大阪基点の距離計算はここからカウント抑えておきたい魅惑スポット【里程元標跡】

明治時代西日本の主要道路はこの元標からの距離で記された 北浜『高麗橋』の西詰に解りやすく碑が建てられてあった 私の散歩ルート奈良街道にあった道標に『高麗橋から云々』とあるし実証されたと喜んだ お江戸日本橋に匹敵する距離の模範が大阪にもあると実感出来て何となく誇らしい ◎大阪北浜高麗橋目指して歩こう!

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☆神社の片隅に歴史的記念碑発見の妙味【後鳥羽天皇行宮跡】

熊野詣での折りに若松御所という行宮を置いた場所に当たるらしい そうだと知るとやはり感動必ず日記にあげると誓った 「止止呂支比売命神社」の右奥片隅この場所に行き着かず帰る参拝者が大多数だと思われる ◎南海高野線「沢ノ町駅」からすぐ

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☆海に向かって発展を遂げていた商都大阪かっての中心地【大阪府庁跡】

明治7年から50年間「江之子島政府」と呼ばれ港湾都市大阪の象徴として活躍した 川口居留地に近く西欧文化の吸収にも好適地だったこの地を明治政府が選んだのは正しい判断だった 旧庁舎はその後も活用されていたが太平洋戦争の空襲により全焼当時を物語るものは何もない ◎大阪メトロ「阿波座駅」から徒歩5分のはずだが見付けるのに少々手間取った

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☆坂の上奉納された目立つ常夜灯【参宮街道常夜灯】

牛谷坂の上にどでかいのが二つ並んでそびえていた 地元の方が掃き掃除していらっしゃつたし大切に扱われているんだろうね 今では役目を終えた街道筋だが華やかな歴史を物語る建造物だ 大正三年建立の文字が読み取れ戦前までは行き交う旅人逹に癒しを与え続けてきた事だろう

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★防犯ゆえの処置だが記念碑泣いている【大阪開港の地・大阪電信発祥の地】

周りに民家なし倉庫群が連なるこの辺りは不法投棄がヤバヤバな地域 無粋なフェンスでガードされまくり近寄れない まことに残念フェンスの隙間にカメラレンズ突っ込み撮影をね まぁこの場所に来るのも私くらいなものかな? ◎大阪メトロ「阿波座駅」から徒歩10分

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★知らずに通りすぎてしまうような街路に天皇の御廟がねぇ【崇徳天皇御廟】

繁華街京都四条から程近い場所にこんな御廟があるなんて新発見です すかさずカメラを向けるのが私の町歩きちゅう事になりますわぁ 記録はSNSに保存して老後の楽しみにね! すでにお前は老後やん!みたいな突っ込み聞こえてきたりなんかして・・・・・

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◎体格の良い立派な地蔵様が中に鎮座【東口地蔵】

傍らの石碑からは安政四年の文字が読み取れる 小さな小道沿いに突然現れた 環濠はわざとカーブの多い造りになっていてやはり防御の意味合いが強いと思われる ◎大阪メトロ喜連瓜破駅からは徒歩25分必要

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☆戦国武将「荒木村重」の居城跡は伊丹市が誇る観光名所【有岡城跡】

織田信長に反旗を翻し必死になって戦った荒木村重、はたして勝算あっての事なのか私には理解出来ない そんな本丸跡は史跡公園として整備し市民に解放されている 残された石垣や井戸の跡からは戦国時代の攻防を偲ぶ事が可能だ JR伊丹駅に隣接していると言うより城址を削り取り鉄道を敷設したようだ

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☆喜連村六出口の一つ尻(後方)の備えの矢口の意味合い【尻矢口地蔵】

環濠が埋め立てられるまでは立派な石垣の基礎があったようだ 近くの谷川家が管理その他を担っていると書かれてある 地蔵盆の時期はさぞかし華やかに彩られているはずで次回はぜひそのタイミングで来てみたい ◎大阪メトロ「喜連瓜破駅」からのアクセスが便利

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☆マップ記載なければ見過ごし確実なP内にある小さな塚【お姫さんの井戸】

応神天皇に繋がる姫の御領とされている 現在あるのはほんの一坪ほどの井戸を含む塚のみである そんな大切なものだとは誰も気付かず植木にしか見えないね 名を刻んだ石碑は近くの神社に移設されているようだ ◎平野区旧喜連村に隣接した場所、注意深く歩き見つけた

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☆目印の江戸期古民家喪失かなり残念【馬倉地蔵】

醤油屋を営んでいた「服部家」がすぐ横にあるはずなのに見つからない どうやら福祉施設に代替わりしてしまったようだ マップにある「弘法大師腰掛け石」も無念、どこかに保管されている事を願う 馬倉地蔵は馬繋ぎの場である事から命名されたと聞く 環濠はここで桝形に掘られ変化を加えてある ◎大阪市平野区喜連集落、中高野街道とここで直結している

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☆喜連村を貫く中高野街道北の出入口【北口地蔵】

広い桟敷は熊野詣での旅人の祈願、休憩の場として活躍してきた事だろう すぐ傍らには「松山橋」跡も残る 地元の方々が地蔵堂を丁寧に維持管理されている様が見て取れる ◎大阪市内平野区にある喜連環濠集落見処満載です