「小野小町」の日記一覧

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おばあちゃんそのままでいて。

花の色はうつりにけりないたづらに     わが身世にふるながめせしまに             小野小町 私の鏡台の鏡は自惚れ鏡である。綺麗に映してくれる。なので、外出して鏡のあるところで我が顔を映すと気が遠くなる。(泣) 夜、寝るときに、小3の孫息子が寿命の話を始めた。 孫息子の父親は3歳の時に亡くなっているので、この頃、死ぬと言う言葉を煩雑に出してくる。 朝の…

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花は昔の花ならず

花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに   小野小町 昨年、石垣の塀が危ないとのことで、コンクリートの塀に変えられました。 そばに植えていた、山椒、牡丹などを移植してもらいました。 牡丹、長女の入園記念に植えました。 爾来30数年余、毎年美しい花を咲かせてくれています。 昨年までは柿の木の下だったので、少し日陰になる時間がありました。 …

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最近買ったもの

京都、随心院の小野小町に会いに 行って来ましたので記念に 『御朱印帳』を買いました はねず色と呼ばれる鮮やかな薄紅色を 基調とした襖絵「極彩色梅匂小町絵図」 小野小町の一生を描いたものを襖にした 絵図が御朱印帳に描かれています

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小野小町 ~ 深草少将の百夜通い~

小野小町は平安時代の女流歌人で、小倉百人一首では、第9番目に有名な句あります。 「 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる 眺めせしまに 」 出身は明らかではないのですが、出羽の国(秋田)の郡司の娘と言われています。 小野氏というと、遣隋使の小野妹子、流罪で隠岐に流された小野の篁(たかむら)、能筆家の小野道風という文化人の家柄でもあります。 京都には「小町寺」と呼ばれる寺が二…

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小野小町の恋歌

古今和歌集は、平安時代に醍醐天皇が4人の撰者に命じて作らせた我が国初の勅撰和歌集です。 その4人とは、紀友則、紀貫之,凡河内躬恒、壬生忠峯です。 中でも紀貫之が責任者で、「仮名序」を書いています。 貫之が選んだ「6歌仙」とは、僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰、小野小町、大友黒主の6人です。 ここでは、紅一点の小野小町の恋歌を紹介します。 ☆ 小野小町  日本書紀では、允恭天皇の后としてい…

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夢想散歩 — 小野小町と紫陽花 —

梅雨明けを思わせるような雷雨予報の中、早めに出れば降られずに済むだろうと、散歩に出かけた。 今年は紫陽花を見たのは散歩の途中だけ。それでも最近は多くの家で紫陽花を育てておられいろいろな種類を楽しませてくれた。 多くの庭では剪定も終わり来年に備えているが、中には手毬紫陽花が既に色褪せたまま落ちることなく重たげに顔を伏せている。 このような紫陽花の姿を見ると小野小町を思い浮かべるのが常になっている。…

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カレンは楽しい

高校講座古文の時間、教師は金田一秀穂先生、生徒は滝沢カレン。先生が、 ”思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを” の歌を紹介したとき、「作者は小野小町」と言うと、カレンちゃんすかさず「小町と言っても、男!!!!!」とチョット誇らしげな口調で言い放った。 一瞬戸惑った金田一先生、しかしそこはさすがの国語学者、「それは小野妹子!」とすぐさま訂正。 小野妹子が話題にな…

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相思相愛?それとも片思いだった?

百夜通い(ももよがよい)とは、世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説。 小野小町に熱心に求愛する深草少将。 小町は彼の愛を鬱陶しく思っていたため、自分の事をあきらめさせようと「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになろう」と彼に告げる。 とのことです。 ここに登場する、小野小町と深草少将ゆかりの寺をお参りしてきました。 一つは、深草少将の邸宅があったとされる欣浄寺。(伏見区)…

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花の色は うつりにけりな いたづらに

花の色は うつりにけりな いたづらに    わが身世にふる ながめせしまに この歌は『 小倉百人一首』(9番)   『古今集』春・113にある 小野小町 の歌です。 小町のつぶやき  いやだわ、栄え咲き誇った桜の花も、むなしく  色あせてしまったわね。  私が降り続く長雨でぼんやり時間をつぶして  いるうちに。  かつては絶世の美女よ花よと謳われた私も、  みっともなく老けこんでしま…