「徳川家康」の日記一覧

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なすび記念日 (2022-4-17)

おはようございます。今日は、なすび記念日なのですね。四(よ)一(い)七(な)で「よいなす」の語呂合せと、ナスが好物であった徳川家康の命日であることから。そうなんですね。最近は、温室栽培のナスなのか、毎日のように食べてます。野菜で一番好きですね。 それでは、今日は、久しぶりにライブハウスでギター弾き語り、を聴いて、夕食はナスの炒め物にしよう ! 今日も、良い出会いを !

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戦国時代を終結させたのは、なぜ三河国の少領主 徳川家康だったのか

北条早雲が始めた100年の戦国時代は、関ヶ原の戦いにて、徳川家康によって、終結しました。なぜ、徳川家康が江戸時代という泰平の世を築けたのか。家康の先祖は、諸国を放浪していた時宗の僧侶 徳阿弥です。三河の酒井氏や松平氏の娘婿になり、松平親氏と名乗ります。 三代目の信光は、室町幕府の政所執事の伊勢氏の家臣になり、子を分家させ、18松平家と言われます。松平清康は、一度、三河国を統一しています。家康の強…

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小牧長久手の戦い 丹羽氏重16歳 日進岩崎城代 壮絶な戦死 

丹羽氏重は、愛知県日進市岩崎城主 丹羽氏次の弟です。1584年、豊臣秀吉10万人と織田信雄・徳川家康連合軍2万人が小牧長久手の戦いで対決しました。長らく、にらみ合いが続きました。ここで焦りを見せるのは、池田恒興です。家康の首を取れば、美濃尾張100 万石が秀吉から、約束されていました。恒興は、中入りと言われる戦法で家康の本拠地 岡崎を攻めることを秀吉に進言しました。豊臣秀次を総大将とし、池田恒興…

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苗字の起源シリーズ6 服部姓

服部氏と言えば、徳川家康の家臣の服部半蔵が有名です。服部姓の先祖は、日本の古代の服部伴造の子孫で機械職業部から、起こり、衣類を織る職業姓です。服部半蔵の先祖は、三重県上野市の忍者の棟梁を代々、勤めてきました。

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麒麟がくる

筒井氏・・ 興福寺の宗徒が戦国大名となり 順慶も僅か2歳で家督を継ぎましたが・・ 守護大名のいなかった( 興福寺が権力を握ってた)大和を狙い 松永久秀が侵攻>> 先の将軍 足利義輝が暗殺のドサクサに便乗しつつ 久秀は筒井城を陥とし 順慶は命からがら落ち延びます。 そんなこんなで 松永久秀と筒井順慶は不俱戴天の仇敵だったんですよね。。 でも 足利義昭が 順慶に肩入れし 信長に松永久秀を討て…

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五文字と七文字!

先日地方紙の明鏡欄に徳川家康の名言である「人生に大切な事は五文字で言えば上を見るな・七文字の方は身の程を知れ」を人生の座右の銘として暮らしていると記していた方がおりました。  □上を見るな   結婚した頃から日本一低賃金の県と言われた地でサラリ   ーマンをしてきたので、その頂いた給料で暮らす事が身   についている我が夫婦です。   とは言え、20代後半から30代にかけては若気の至りか上 …