何故か、芥川の『羅生門』を読みたくなった。格差、貧困関連本から続け河合香織さんの『分水嶺』を読んでいる最中に、あゝ「羅生門」が読みたい、と。なぜか?私の深層心理は如何? 雨のそぼ降る今昔の京都、今コロナ禍に喘ぐ地方観光都市かつて地震火事飢饉疫病に喘ぐ都、そんな千年の隔たりすっ飛ばす芥川龍之介は人物造形を通して描いたことは何か。愚生は観た。それは屁理屈を言いつつも、下人も婆も、死臭漂う状況の中で…
フルーツに飢えていたんだわ 毎日 ひとつ りんごか きゅうい か なつみかんかを 買う。 私の 体中の臓器が 喜んでいる。 水を得た 魚のように 音楽に飢えていたんだわ わすれていたの 昔の歌が 心のひだに 深く 静かに しみてゆく 文学に 飢えていたんだわ 薫り高い 文芸作品に 芥川龍之介の みかん に出会う 虚構を交えて それが技術? みかんの鮮やかさが 視界に 広がる 芸術の世…
「オレはあくまでも作家だ。いい小説が書けなければ、オレの人生は終わりだ。人生の競技場に踏みとどまりたいと思ふものは、創痍を恐れずに闘わなければならぬ」(芥川龍之介) 芥川龍之介さんはこういう激しい思いを抱いて作家稼業に励んでいたんだね。まあ、プロ中のプロというのはそういうものかもしれない。 でも、それじゃー、あまりにも余裕がなさすぎるよーな気がする。人生、ある程度の余裕というか、遊びの部…
『凡兆について』という一頁にも満たない芥川龍之介のエッセーがある。 私は俳句は全くの素人で正直なところ余り関心がない。 しかし、此の芥川のエッセーは面白い。 *** 『物の音ひとり倒るる案山子(かかし)かな』 これは芥川が此のエッセーで筆頭に紹介している凡兆の句で、彼はこの句を、『何かピシリと僕らの心を打つものがある。』と評し又『凡兆は非常に鋭い頭を持つてゐたらしい。』とも書いている。 …
芥川龍之介に『今昔物語に就いて』物語に就いて』という一篇がある。 私が持っているB6版サイズの本で4頁ちょっとの短い一篇だが、この一篇は芥川龍之介の古典論での白眉とも言われているそうだ。 言うまでもなく今昔物語の顕彰者は芥川龍之介だが、それよりもなによりも、このたった4頁余りの”古典論”そのものが実に面白い。 例によって、一部の隙もない文章で書かれているのだが、ここで簡潔に紹介されてい…
水涕(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る 水涕(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る 我鬼(芥川龍之介) *** 私は芥川龍之介フリークである。 私が初めて小説らしきものを読んだのは彼の『鼻』だったと記憶している。 私が持っている唯一の文学全集と云えば筑摩書房の其れだけだ。この全集だけは今まで捨てずにきた。 既に半世紀以上の「つきあい」である。 私は彼の美意識・・・其れは或る…
ある雑誌に興味ある記事を見つけた、 芥川龍之介が漱石と鴎外の違いについて 述べた言葉である、 ‟不機嫌な時の漱石はちょいと物凄いんだ、 何も事情を知らない客が来て先生の「虞美人草」か 何かの話を持ち出すことを僕たちは鰓(えら)に触る と言って恐れていた、 ある時そんな場に居合わせた、 忽ち先生はムッとして何とも言えない嫌な顔をする、 怖い顔で無言のまま僕に顎を杓くるん…