菅首相は国会答弁で「反政府的な学者は学術会議任命を拒否する」と発言した。 これには驚いた。 首相が自ら反政府的などという言葉を、それも国会答弁で発するとはビックリだ。 政府批判を反政府的としか捉えない政権はそら恐ろしい。 政府の考えに従わない者は排除していくという考え方は民主主義の考え方とは正反対だからだ。 その手法は正に独裁者のそれであって、悪名高いヒトラーを筆頭に過去の多くの独裁者…
『任命拒否は“開戦”のきっかけ作りか 徹底した記録保存と公開』 日本学術会議は1949年、科学者が戦争に協力した過去への悔恨を胸に刻んで出発した。発足時の声明の「わが国の科学者がとりきたった態度について強く反省」という言葉がそれを示す。その原点と、このたびの菅首相による会員の任命拒否は関係があるのだろうか。学術会議の出発点から時をくだり、いくつかの歴史の結節点を振り返って、それを探りたい。 …
『「政治の侍女」にならぬための闘い 科学こそ弾圧に抗う力』 日本学術会議は1949年の第1回総会で声明を採択した。そこには「これまでわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し」という文言がある。反省の対象を「特に戦時中とりきたった態度」とするという修正提案があったが退けられた。総会に参加した物理学者の坂田昌一が感想を書き残している。 ■教授を「先生」と呼ばない 「日本学術会議第1…
『5文字の加筆めぐり激論 科学者の戦争責任と向き合う』 日本学術会議として声明を出すことを強く主張したのは、歴史学者の羽仁五郎である。1949年1月20日、第1回総会の初日だった。この提案は賛同を得る。副会長に選出された東大の我妻栄は、専門分野別に組織された7部のうち第2部(法)の部会長になった末川博に、原案の起草を委嘱する。 ■火鉢抱えて書いた声明案 当時、立命館大総長を務めていた末…