日本学術会議は反日か(2)

『5文字の加筆めぐり激論 科学者の戦争責任と向き合う』

日本学術会議として声明を出すことを強く主張したのは、歴史学者の羽仁五郎である。1949年1月20日、第1回総会の初日だった。この提案は賛同を得る。副会長に選出された東大の我妻栄は、専門分野別に組織された7部のうち第2部(法)の部会長になった末川博に、原案の起草を委嘱する。

 ■火鉢抱えて書いた声明案

 当時、立命館大総長を務めていた末川は、上京して上野・寛永寺の宿坊に泊まっていた。敗戦から3年半足らず、あらゆるものが欠乏していた。真冬の冷え込みに、火鉢を抱えて原案を書いたという。

 3日目の