「シベリア鉄道」の日記一覧

会員以外にも公開

大陸横断鉄道の旅 その3

 今回のロシアのウクライナ侵攻のため、今は旅行が出来なくなった、2004年のシベリア鉄道の旅です。 富山県伏木港からウラジオストックまで、ナホトカ航路で、アントニーナ・ネジダノーワ号の貨客船に乗りました。 1992年までは、ウラジオストック市は、他国民が入ることが禁止されていました。 そのため、ウラジオストックから33km離れたナホトカまで支線で行き、そこからモスクワまで、約9300kmの世…

会員以外にも公開

シベリア鉄道の旅を見る

 晴れ。  昨夜はアルコールで寝る。最近グデングデンになる前にチャンスをつかんで寝る術を掴めたようだ。  8時前に起床する。弁当・プレートを作った後朝食。新聞・ネットでニュースを確認するが、8050という数字が出ていて80台の老親が50台の引きこもりの子供の生活を見るということらしい。一応年金制度が用をなしている時代だからこういう現象が出てくるのだろうが、50台の子供にとっていい事なのかそう…

会員以外にも公開

ウラジオストクとハバロフスクの旅

ウラジオストクとハバロフスクの旅をしてきました。「日本に一番近いヨーロッパ」を存分に楽しんできました。 写真と動画を以下のサイトに掲載しています。ぜひ訪れてください。 http://www.ne.jp/asahi/komazaki/yoshihiro/RussianFarEast.html

会員以外にも公開

イメージが変わったロシア

ウラジオストク夜8時45分発の寝台車でハバロフスクに向かった。出発30分前に乗車開始。乗車券は事前にネットで購入し印刷していたが、各車両の入口にいる駅員にパスポートを見せると駅員が携帯の機械でチェックしてOK。小さな店でもカード決済が出来るし、ロシアではコンピューター化がかなり進んでる。予約席はオープンの三等寝台車。日本の二等寝台のよう。シーツ、枕カバーそしてフェイスタオルを配られ、10時に消灯…

会員以外にも公開

第10回 我が家の履歴から10.番外編?アムンゼンと父

父の事でも書き出そうものなら、それこそスペースがいくらあっても足りないくらいだろう。だから、ここでは、至らぬ小人wakoh自身にのみスポットライトを当てるつもりだった。 だが、wakohの出自には、父を全く無視するわけにもいかない。そのため(その8)では父母の結婚に至った経緯まで触れてしまった。  父はドイツを中心に留学の後、金沢医科大学初代法医学教授として、それ以来獅子奮迅の勢いで研究に邁…

会員以外にも公開

極東ロシア3日間の旅とシベリア鉄道

2013年10月21−23日の3日間極東ロシアへの弾丸ツアーに参加しました、天気が良くて思ったよりは温かかった。 https://www.youtube.com/watch?v=6DfrXzMSTMs&feature=c4-overview&list=UUHa-BeU7txY_wXl7M5jjQ6Q 90歳近くで参加している方がいました。 それで歌は「ぼけたらあかん」です。 http://w…

会員以外にも公開

シベリア鉄道

モスクワでは、やはり赤の広場は見ておこう、と行きましたね。あの広さはすごいです。アイスクリーム買うのにも並び、りんご買うにも並びと、品不足の時代。シベリア鉄道は本当に長い。走っても走っても風景が変わらないのです。ずっと続く白樺林が印象に残っています。 ハバロフスク、ナホトカと来て、船バイカル号に乗って横浜に帰って来たのは秋になってからでした。船の食事は、ずっと節約していた私達には、まことに豪華…