「照ノ富士優勝」の日記一覧

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大相撲初場所千秋楽も終わって(1)(1960)

 直前の日記―「ブランクからの復帰」(1959)ーに記したように、このところ3週間ものブランクがあった。wakohがこの「趣味人倶楽部」に入会以来、最長のブランクだった―日記を書き出してからではあるが。その前に、全く書かなかった2年7カ月はあったにもせよ。それは、体調を崩したからだった。1938年(昭和13年)夏場所以来の大相撲ファンとしては、かつてなら、この初場所は、極めて興味深く、何度も書い…

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大相撲夏場所千秋楽を終えて―総評(1882)

 パソコンの具合が悪くなって、日記を書くどころではなかった。  1938年(昭和13年)夏場所―豊島師範付属小1年生―以来の85年にも及ぶ大相撲の熱狂的ファンだったwakohは、この夏場所ただの一度すら大相撲の日記を書くこともなかった。  しかし、テレビ桟敷での観戦は、それでも、可能な限り続けてはきた。  そこで、従来のようにはいかないけれども、一応の総評の試みだけは、遅まきながらしておき…

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優勝・大関昇進おめでとう~~!

凄いね、照ノ富士。 とうとうやりましたね。 2年前に怪我や病気で大関から序二段まで落ちて、何度も親方に辞めたいと言って、踏みとどまって、必死に努力してきて、再び大関に戻ってくるなんて凄いことだ。 今場所12勝3敗。トップで賜杯を手にした。 3度目の優勝だ。 2度目の大関昇進伝達式は3/31に行われるという。 次の夏場所5/9~には4大関が登場する。 綱取りも視野に入れてこれからも精進…

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幕尻・照ノ富士が復活優勝―大相撲7月場所総評(1377)

大相撲7月場所は、劇的な仕方で千秋楽を終えた。このコロナ禍の今、大相撲5月場所(夏場所)は休止を余儀なくされた。  7月場所は、通常名古屋場所だが、両国国技館での開催となった。はじめは、無観客での開催が模索されていたが、プロ野球なども、遅れて、観客数を制限し、コロな対策を徹底した上での開催となったのなどを受けて、国技館の満員御礼は1万余だが、2500人に絞っての観客注視の中での、マスクを着用の上…

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どん底からの復活優勝、照ノ富士☆

大関から序二段まで転落し、幕尻力士まで這い上がってきた照ノ富士が今場所、 見事に優勝した。 大相撲7月場所、国技館での千秋楽で5年ぶり二度目の優勝を果たした。 大関から転落した力士の優勝は1976年秋場所の魁傑以来で 昭和以降2人目だという。 30場所ぶりの優勝も記録に残る快挙だ。 何度も伊勢ケ浜親方に引退の相談をしながらも踏みとどまり、 2年半ぶりに幕内に戻って来た今場所に優勝を手にし…