「紫水会」の日記一覧

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wakohの交友の回顧(その7)紫水会の友人たちの中から②(1713)

前には触れなかったかもしれないけれど、紫水会の総会が開催されるようになったのには、その第1回総会に先だって、ほぼ1年の準備期間があったのだった。小石川高校の卒業が1950年、それから25年を閲していた。だから最初はどうなることかと案じもしたが、44年間も一度も休むことなく続けられることになったのだった。それには、常任幹事諸公の水面下での尽力があった。  総会が校歌斉唱をもって終わると、次年度の代…

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wakohの交友の回顧(その5)都立五中・小石川高・紫水会―その序(1710)

 wakohは昭和19年、東京第二師範付属国民学校を卒業し、都立五中に入学。その前の年までは府立五中だったが、都制が布かれるに及んで、都立五中になった次第。第二次大戦は激化し、戦況は益々不利になりつつあった。一学年上のクラスは、勤労動員に駆り出されていた。まさに激動の6年間だった。  昭和18年、東京の都立の中学校は、4学区に分けられた。都立五中は、第三学区のトップ校だった。だから各小学校の選り…

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『わが道』(84)『わが20世紀の一齣』からー「学徒としての50年」(1547)

wakohは「学徒」としての道を歩んできた。そのことは、この趣味人倶楽部でも、「お気に入りさん」になっていて下さる方々は、多かれ少なかれ、ご存じであろう。  この『わが道』でも、一貫して大学の事ばかりを記してきた。逆に言えば、大学以外のことは殆ど知らずに過ごしてきた。しかも、研究と教育の事ばかりを記してきた。それ以外の大学行政のことなどは殆ど知らぬままだった。  だが、如何なwakohとて、大学…

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2つの同窓会からの相次ぐ案内(1124)

こんなタイトルをご覧になれば、恐らく自分とは無縁なことをまた書いていると思われるかもしれない。  確かにそうでもあろう。だが、wakohは言っている。年老いて、自らの行動範囲は狭まり、その生活空間は小さくなっていると。だから、どうしても日常茶飯なことばかりを取り上げがちなのは、もとより承知の上だ。  けれども、それでもなお多少なりとも存在理由があるとするならばこういうことか。87歳にもなった老爺…

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野村万作・萬斎の狂言の夕べ―紫水会有志とともに

wakohの中学・高校の同期同窓会「紫水会」のことは、これまでに何度もいろいろな仕方でこの「趣味人倶楽部」での日記の中で触れてきたことがある。だから、「お気に入り」さんになってくださっている方の中には、またかと思われる方もおられるかもしれない。だが、wakohにとっては、この会は何時までも懐かしい。  どうしてか。wakohが都立五中に入学したのは、昭和19年(1944年)だった。その前年、都制…

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相次ぐ訃報に

つい先日、スポーツ界の大立者、サッカー界の最高顧問だった岡野俊一郎君の訃報に接したばかりだった。  ところが今日はわが「紫水会」きっての中心的人物だった宮本英樹君の訃報に接した。ショックだった。  宮本君は、東大野球部時代には、民進党の顧問だった藤井裕久氏とは、バッテリーを組んだ間柄でもあったとか。  卒業後は、大蔵省、国税庁を経て、自らの起こした企業の社長業を勤めていた。今日インターネット上の…

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第13回 同窓会―中学入学から72年、高校卒業から66年

「趣味人倶楽部」に属しておいでの方は、比較的高齢の方が多いようだ。そうだとすると、昔入学したり、卒業したりした学校の同窓会などは、恐らく懐旧の念をもって迎える方が多いのではなかろうか。  wakohの同窓会それ自体は、もちろんwakohだけのものかもしれない。しかし、その会の性質や、そこでの経験などには共通するところもあるはずだ。そこで、その会の模様をここに取り上げることをお許しいただきたい。 …