連載:人間関係・交わり

wakohの交友の回顧(その5)都立五中・小石川高・紫水会―その序(1710)

 wakohは昭和19年、東京第二師範付属国民学校を卒業し、都立五中に入学。その前の年までは府立五中だったが、都制が布かれるに及んで、都立五中になった次第。第二次大戦は激化し、戦況は益々不利になりつつあった。一学年上のクラスは、勤労動員に駆り出されていた。まさに激動の6年間だった。
 昭和18年、東京の都立の中学校は、4学区に分けられた。都立五中は、第三学区のトップ校だった。だから各小学校の選り抜きの優等生、級長・副級長といった生徒ばかりが入学してきた。好ましい学習環境であったはずはないが、それでも生徒たちは好学の念に燃えていた。
 一学年は定員約250