封建制の壁を越えて抜擢された会津藩家老・山川重英(しげふさ。山川浩の祖父)
会津藩が薩長に敗れ斗南藩(現在の青森県 下北・八甲田地方)へ移封になった時、 大参事(家老職)として藩政を任されたのは山川 浩である。大参事になる前は「山川大蔵」を名乗っていた。東京帝大総長になった山川健次郎 と 津田梅子らとともに米国女子留学生となり、のち大山巌の妻となって「鹿鳴館の華」と謳われた大山捨松の兄である。 その祖父が山川重英である。山川家は大昔は織田信長に仕えたが、何らかの理…
会津藩が薩長に敗れ斗南藩(現在の青森県 下北・八甲田地方)へ移封になった時、 大参事(家老職)として藩政を任されたのは山川 浩である。大参事になる前は「山川大蔵」を名乗っていた。東京帝大総長になった山川健次郎 と 津田梅子らとともに米国女子留学生となり、のち大山巌の妻となって「鹿鳴館の華」と謳われた大山捨松の兄である。 その祖父が山川重英である。山川家は大昔は織田信長に仕えたが、何らかの理…