連載:会津藩家老 と 山川家の人々

封建制の壁を越えて抜擢された会津藩家老・山川重英(しげふさ。山川浩の祖父)

 会津藩が薩長に敗れ斗南藩(現在の青森県 下北・八甲田地方)へ移封になった時、 大参事(家老職)として藩政を任されたのは山川 浩である。大参事になる前は「山川大蔵」を名乗っていた。東京帝大総長になった山川健次郎 と 津田梅子らとともに米国女子留学生となり、のち大山巌の妻となって「鹿鳴館の華」と謳われた大山捨松の兄である。

 その祖父が山川重英である。山川家は大昔は織田信長に仕えたが、何らかの理由で追放され、武田信玄に仕えた。武田家滅亡後は高遠の保科家へ仕えた。家禄は200石、保科家(のち松平家)が2万5千石の小大名から、山形20万石→会津23万石と加増