「快楽」の日記一覧

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☆信仰と快楽のコラボレーションある意味合理的?【生玉界隈の風景】

「いくたまさん」参拝後にちょっくらお遊びは昔からあったことなんだろうね! それなら連なるホテル街の光景が説明つきやすい お寺さん越しに見える煩悩の殿堂はけっこう光り輝いていた ホテトルの聖地として通い詰めていた知人を複数人知っていたりもする ◎大阪メトロ「谷町9丁目駅」徒歩3分

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我が身を滅ぼす

我が身を滅ぼす行為?をしている。 そんな、極端な自滅行為ではない。 某・薬物をグレープフルーツジュースで服用しているだけだ。 しかし、コレ危険極まる行為である。やってはいけない、というので実践している。 【準・自殺行為】だ。 これで死ぬなら本望だ。良いじゃないの、誰にも迷惑がかかる訳でもない(?)。 飲酒や喫煙だって、言わせてもらえば消極的な自殺行為である。 飲酒も、喫煙も、確実に寿命が縮む…

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浄土に生きることができない訳は

きのう、 神を信じないから人やモノに執着し 依存するという趣旨の日記を書いた。 このことは心理学を学んで以来 ずっと自分の中にあった仮説でもある。 人の中には、 神でなければ埋められない部分があって、 もし神によって満たされたならば、 むやみに人やモノに依存するということが なくなるのだと。 愛情飢餓という表現を用いて説明したこともある。 しかし、さきほど、 これはまったくのデタラメだとい…

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感情と快楽 (自分のためのメモ)

感情におぼれるとき、そこには快楽がある。 快楽があることを深く了解しているので、 感情に溺れるのかもしれない。 自分に不都合なことを言われたり、されたとき、 怒りの感情が湧く。 その感情を爆発させる直前に快楽の誘惑がある。 感情を露出するとき、心地よいのだ。 また、悲しみの感情に溺れるとき、 それは快楽の部分を含む。 しかし感情に飲まれ溺れの階段を下りてしまうと、 すでにその快楽のことは忘…