「満州」の日記一覧

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「ソ満国境15歳の夏」の映画を見て

先日、戦争末期の満州を舞台にした映画があるとのことで、満蒙開拓団の動向を少しでも判ればとの動機で大阪市内の映画館に出かけた。 日中戦争下で、ソ連と満州との国境近くに勤労動員として新京(現在の長春。満州国の首都として日本が付けた都市名)から120名の中学生が送られた。そこで、8月9日のソ連軍の侵攻を受ける。必死の思いで、新京に帰る過程を映じたものである。 開拓団の家族が、逃げる途中で力尽きて道…

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「戦後70年・引揚げ列車?」(13)

有蓋貨物列車の隙間から、沈んでいく赤い夕陽を眺め、大人たちが「さらばラバウル(ハルピン)よ・・・の歌を聞きながら、いつの間にか眠ってしまった。 どんな場所でも寝むれるのは、子供の特権であろうか・・ 今朝も早くから起きていたので、どんな場所でも熟睡出来た。 朝、目覚めたときは駅のホームに止まっていた。 五条と言う駅だった。哈爾濱駅からおよそ100kmの所である。 ホームには大勢の人が溢れていた。…

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帝国の無能「植民地経営」

1931年9月、「奉天」郊外、柳条湖に於ける関東軍の謀略によって満州事変は勃発し、翌年3月に帝国の傀儡国家「満州国」が「成立」する。 日本人の多くはその一連の争乱を、「帝国の聖戦」と捉えていたようであり、多くの新聞もこれに迎合した。 但し、そんな中でも石橋湛山の東洋経済新報は、まったく違う切り口でこの「事変」を扱った。「満州国」建国直前の、2月13日の社説である。 「支那に対する正しき…

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満州の叔父家族

今朝、実家に電話で来週お邪魔するのでよろしくとのお願いをした。その時に、もうすぐ満州の叔父に嫁いだ叔母の里から、叔母の妹さんが墓参りに来るとの話があった。 満州で終戦時に全員戦死した叔父家族の法事には、叔母の里から必ず出席していたとのことである。残念ながら、直接面談する機会に恵まれないままになっていた。法事に出席されていた方が亡くなられてすでに13年になるという。 今回墓参りの申し出のあった…