フランクフルトその2
昨日は、美術館、博物館めぐりしました。 市の広場に行くと、クリスマスツリー用の大きいモミの木を運び込むところでした。 12mくらいあって、トレーラーでゆっくりと移動していました。 近くの大聖堂の塔に上がると、景色が一望できて素晴らしい。 20階分くらいの階段でしょうか。 教会の塔を見つけると上がることにしています。 狭く急な階段ですから、多人数は無理。 団体旅行だったら連れて…
昨日は、美術館、博物館めぐりしました。 市の広場に行くと、クリスマスツリー用の大きいモミの木を運び込むところでした。 12mくらいあって、トレーラーでゆっくりと移動していました。 近くの大聖堂の塔に上がると、景色が一望できて素晴らしい。 20階分くらいの階段でしょうか。 教会の塔を見つけると上がることにしています。 狭く急な階段ですから、多人数は無理。 団体旅行だったら連れて…
ゲーテ著・相良守峯訳『イタリア紀行』(中)(下)岩波文庫、を読了。 以前の日記に、ゲーテは何故イタリアの旅に出たのかを書いたが、この旅があってはじめてドイツ古典主義文学が確立され、そしてゲーテにとってこの旅ほど必然的な促しによって実行され、同時に偉大な収穫を齎したものはない、と訳者の相良先生は解説に書かれている。 1786年9月3日、ゲーテはただ一人の家令フィリップ・ザイデルだけに行き先を告…
1816年9月末、ワイマルのエレファント旅館に定期郵便馬車から三人の女性が降り立ち、そして宿帳に「宮中顧問官未亡人シャルロッテ・ケストナー、旧姓ブフ」と記したところから、『若きヴェルテルの悩み』の後日談、トーマス・マン著『ワイマルのロッテ』が始まる。 1771年ゲーテがシュトラスブルク大学を卒業してフランクフルトに戻り、9ヵ月の弁護士の仕事をしながら『鉄手ゴットフリート・フォン・ベルリヒンゲン…