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よくあるご質問

饗庭孝男著「ヨーロッパ古寺巡礼」新潮社

《ロマネスク教会や修道院というものは不思議な魅力を持っている。それをつまびらかにすることはむつかしいが、こういう風に言えるかと思う。つまり、12世紀の「信仰」が〈自然〉と見事に調和し、素朴なかたちであらわれているからだと。(略)山麓の麦畑や丘の間にある小さな村々、急な斜面により添うような村のまん中にある教会、あるいは人里はなれた霧に包まれた森の奥、しずかな川のほとり、泉の傍らにあり、あるいは山の頂き近くにひっそりと立っている修道院は長い歳月を経て風景の一部分となり、リルケの喩えによって言えば、沈黙のうちに、宇宙の承認をえて〈自然〉と調和しながら息づいているのである。》と、この本は書き始められる。
 《〈信仰〉という力がヨーロッパの僻地に至るまで多くの教会や修道院をつくった。その「精神」のありようを考え、中世に対する精神史的な展望をもちたいと私は大それた望みをいだいたのである。たしかに中世は現代と異なり、正しいことも悪しきことも限度をこえるような振幅をもっていた。悲惨と偉大、愚劣と崇高は紙一重であったし、たえず異端を内包し、つねに改革を必要とする程、キリスト教とその制度が堕落と腐敗のおそれを伴っていたのであった。教皇自身が無能で暗愚であったことも稀ではなかった。このような事実を視野におきながらも、私は中世において、信仰へのエネルギーが少なくとも十世紀から十二世紀にかけ、「普遍性・カトリシテ」をめざし、大きな力となって聖堂を無数につくり出したことに注目するものである。》
 饗庭先生は下調べをし、カメラを担いで、何年にも亘ってヨーロッパ各地を訪ね歩いておられる。この本でも、プロバンス、ブルゴーニュ、ロワール、ポワトゥー、サントジェ、ブルターニュ、オーヴェルニュ、アルザス、ラングドック、ルシヨン、カタルーニァ、ロンバルディア、ピエモンテ、トスカーナ、ウンブリア、シチリアなと、90余の教会や修道院の歴史と精神性、建物の構造、彫刻、壁画など土地を写しながらこの本で語られている。この地名で、即ワインを連想してしまった。
 パリから鉄道で近くの町まで行ってタクシーを雇い、20kmも先の人里離れた教会や修道院に趣く。近くの農家が教会管理を依頼されていて鍵を持っている。運転手が畑にいる農夫を探して連れてきてくれ、やっと聖堂内に入ることが出来たのも度々だった。
 《教会の外へ出た。糸杉が立つ径のほとりにいると、緑の谷間は静寂にみち、遠くの鳥の啼声がするだけであった。私は管理人をふたたび村のカフェに連れて行ったあと車の人となった。彼は別れる時、チップも受けとらず、研究の成果を心からお祈りしますと、私の手を握り、肩を叩いた。淡い光がさし、夏花が村道の端に揺れていた。》
 トスカーナのサン・ピエトロ・イン・ヴァルレ修道院を訪ねたときも、管理人を探して教会の扉の鍵を開けて中に入った。
 壁画を見る目的を告げると、管理人の農夫はペルージャ大学の許可証を持っていなければ見せられないと言う。話を聞いていた運転手が横から乗り出して、「でも今ここには私たち三人しかいませんよ」と言って笑った。すると管理人は俄かに態度がかわって笑い、うなずいて研究のためならどうぞ、写真も何を撮ってもよろしい、といかにもイタリア的に両手を拡げた。
 壁画保存はペルージャ大学が負うていたのだった。
 村の青年、カフェにいる人、農夫も運転手も、そこで出会った人とのさりげない交流にも先生のお人柄が読み取れる。或る運転手はこの村がそんな歴史をもつ地であることを、遠い日本の先生に教えられ誇りをもらった、と手を強く握った。

 昨年訪れた、フォトネー修道院やヴェズレーのサント・マドレーヌ教会などを文章の中に思い出しながら嬉しく読んだ。
 400頁ほどのボリュームであるが、再読したくなる魅力を湛えている本だ。饗庭先生の『ヨーロッパ中世の旅』グラフィック社、の大判の写真満載の本もあるが、『ヨーロッパ古寺巡礼』に取り上げられている教会・修道院が美しい写真で確認ができる。
 写真は、フォントネー修道院、ヴェズレーのサント・マドレーヌ教会。

カテゴリ:ニュース・その他

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