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よくあるご質問

「公」と「私」

山崎豊子著『運命の人(二)』文春文庫、読了。
 主人公は国家公務員法11条の、職務上知ることができた秘密を洩らしてはならないと定めた国家公務員に対して、そそのかし又はその幇助をしたという罪で逮捕、起訴される。
 国家の国民に対する裏切り行為を暴かれたからといって、それを個人的な男女の関係に矮小化し報復・断罪しようとする国家権力。男女の双方には家族があっても、そんなものは公権力をもって蹴散らしてしまう。守るべき取材源を守秘できなかった記者の落ち度もある。
 公開されるべきものが秘密にされ、秘密にされるべきものが公開された事件。官憲は、「情を通じた」という二人の関係を殊更暴き立てることによって、肝心のところを眼くらます戦法を取り、裁判が進行する。性という最も重んじられなければならない個人の聖域を暴かれ踏みにじられる人権。
 国民を下劣なのぞき趣味に関心をもたせて、己の裏切りをすり替え秘匿しようとする政府。臆面もなく内なる公僕となって権力に蝟集する官僚たち。
 佐藤首相が国益を振りかざしながら、実は私憤を晴らすために両人を逮捕させ、国家(公)が無制限に「私事」に土足で踏み込んできて、本質がずらされてしまった事件であった。
 男女の関係ということは、あくまで個人の領域に属する「私」の内部にある倫理の問題であって、そもそも「公」が関与すべきではないことなのだ。
 『漢和大辞典』を見ると、「公」とは、おほやけ。邪曲ならざること、ただし。偏頗なきこと、たひらか。弘通なること、一般。差別なきこと、平等。隠蔽せざること、明白。専有ならざること、共同。官府、役所などとある。
  これに対して「私」は、わたくし、公平ならざること、偏頗なること。邪曲。よこしま。陰密。うちわ、とあり、公は「常に正しく」、私は「よこしま」だと言うのだ。こうした歴史的背景をもつ日本的風土ともいうべき官尊民卑の体質が、こんなときに露骨に顔を出し、跋扈しだすのだから恐ろしい。
 公の字の成り立ちは、カタカナのハとム。ハは分け入るという意符であり、ムは私の旁のム。つまり、私に分け入る、介入するというのが公ということになるのだが・・・。介護や紹介の介も、人の下にハ、人に分け入る、人に関わるということ。
 憲法11条の「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」や、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福の追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」などどこ吹く風だ。
 全4巻の(三)(四)は、それぞれ1月、2月に刊行される。

 藤田宜永著『いつかは恋を』講談社文庫。11月に文庫化された新刊で、その帯には、「おとなの二人が魅かれ合う。その姿は、しっとりと明るい。熟年の恋はこんなにも清らかで柔らかい」と、石田衣良氏の解説文が引用されている。
 公権力とは無縁な、純粋な「私事」である恋愛。57歳になる町工場の女社長と同世代の男性とのラブ・ロマンスで、それぞれたやすくない人生を歩んできた男と女の成熟した秋色の恋物語。他の登場人物もおとなで、つい応援したくなる物語の展開は、清清しい。

 10日に札幌交響楽団の第534回定期演奏会に行ってきた。今回の指揮は、ブルガリア生まれのロツセン・ゲルゴフ氏で、プログラムは中国出身のタン・ドゥンの「弦楽のための交響曲」(2009年の作品)と、アルメニアの作曲家アルチュニアンの「トランペット協奏曲イ長調」、それにチャイコフスキーの交響曲第四番であった。
 トランペットソロはベネズエラ生まれのフランシスコ・フローレス氏で、指揮者と同じ28歳の若さ。アンコールにソロを聴かせてくれたが(帰りに曲名を書いたボードを見てくるのを忘れたので、曲は分らない)、そのテクニックたるや音の跳躍の実に激しい、如何にも難曲という感じの曲であったが、それを難なくこなす実力には聴衆もため息を洩らしていた。
 チャイコフスキーの4番は、作曲者が裕福なメック夫人と出会って(実際に会うことはなく、手紙ばかり)6000ルーブルの年金が提供されることになり、経済的にも救われ、精神的にも支えられた頃に作曲されたもので、情熱的でまた暗く甘美な旋律が奏でられる。曲はメック夫人に献呈されている。
 第1楽章の冒頭のホルンとファゴットの「宿命の主題」のファンファーレに、ホルンが音を外したことに気づいてしまった。難しい楽器だということは分かるが、ちょっと残念。

http://www.youtube.com/watch?v=pWa7_MWr7V0&feature=related

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