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よくあるご質問

厳冬の佐渡

年が明けて18日から21日まで佐渡の冬の厳しさを体験するため、現地を訪ねました。生憎18日は天候が良くなく、小用で2等船室からトイレに進む短い間でも手摺りにつかまらないと身がよろけるほど冬の海は荒れていました。しかし、無事両津港に到着。
 
 1271年9月(旧暦)、龍の口(神奈川県藤沢市)で鎌倉幕府の命令により危うく処刑されるおいのちでしたが、奇瑞により救われた日蓮聖人は佐渡へ流されることになり、その様子がご遺文の種々御振舞御書に記されています。「十月十日(旧暦)に依知(神奈川県)を立って、同き十月二十八日に佐渡の国へ着きぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろみ塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のように死人を捨つる所に、一間四面なる堂の仏もなき、上は板間あはず、四壁はあばらに雪降り積もり消ゆる事なし。斯かるところに敷皮打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす。夜は雪雹ひまなし、昼は日の光もささせ給わず心細かるべき住居なり」当時、佐渡住民一般の衣食住の水準は、今日のそれに比べられるほどもないほど貧弱であったはずで、まして流人として日蓮聖人は棄民に等しい扱いを受けていたのですから、その生活はまさに上記のご遺文に記されているような厳しさであったのでしょう。その上、日蓮聖人を敵とする他宗の僧侶からいのちを狙われる日々でしたので、心の休まる暇もなかったと推察します。しかし、日蓮聖人の有徳の人柄にやがて帰依する人々も増え、約3年後幕府に許され佐渡を離れるに際し、「髪のない身ではあるけで後ろ髪をひかれる思い」と日蓮聖人は佐渡への愛着の心情を吐露しています。
 
 日蓮聖人の佐渡に於ける冬の困苦もさりながら、現代においても雪国に住む人たちのご苦労は大変で、そのことも僅かながら体験しました。今年は佐渡でも数十年ぶりの大雪とのことで山野は1メートル以上の雪に覆われ、除雪車が入っていない山中では県道でも雪が残り僧侶である友人も神経を集中して慎重に車を走らせました。朝の一番の仕事は、前夜降り積もった山門近辺から本堂に至るまで十数メートルに及ぶ参道の雪かきから始まります。私は少し手伝わせていただいただけですが、忽ち下着の下に汗が流れはじめ、雪かきが大変な仕事であることを実感しました。簡易除雪機を使っていた友人は、これがあるから大分助かると笑っていましたが・・。彼は、日蓮聖人が佐渡上陸第一歩を踏まれた地に建立された本行寺住職をしていますが、檀家数が数十しかない小さな寺を亡き師父から引継ぎ母上と二人ですべての仕事をこなし頑張っており感服しました。

 厳寒地に住む人にとり、寒さや、降雪は忌むべきものでしょう。しかし、どんなに嫌悪しても寒さや雪から逃れることは出来ません。それを受け入れひたすら耐えて生きるしか道はないのです。それだけに陽光に照らされる春が訪れた時の喜びは、私たち雪に縁のない者が味わう喜びよりも何層倍も大きいことでしょう。

 私の佐渡訪問は、厳寒の佐渡で暮らした日蓮聖人のご苦労のせめて一端でも追体験してみたいと願ってのことでしたが、それさえ叶ったとは言えないほどではあるものの、実に学ぶことの多い旅であったと満足しています。

カテゴリ:ニュース・その他

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