九州王朝説について

最近九州王朝説の出ている若干の書物を読んだ。

まだ、確とは全体像を掴めていないが、どうも倭の五王の名前、系譜などが書紀の記事と異なることが、大きなファクターとなっているようだ。
そしてそのことを以って、五王は九州王朝の王であったということになるようだ。
隋書タイ(倭)国伝の「阿毎多利思北孤」と同時代とされる聖徳太子の名前も厩戸の皇子と言うし、多利思北孤の遣使のあと隋から裴清がやって来て、皇子ではなく王に謁見したとか、阿蘇山を見たとか書いてあることも、九州の王朝のことだとされるらしい。
この時の裴清は九州の王は尊大で国書も受取って貰えなかったとかで、お役