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よくあるご質問

会話 日本語でも英語でも

会話とは日常会話のことである。

この前はどこかのオッチャンに捕まった。
わたしは話の聞き役であった。

今日は一人暮らしの80前後のジイちゃんである。
公園のベンチでわたしは捕えられ、またも聞き役である。
このジイちゃんもえんえんとしゃべる。
いつものことだが、20分ぐらいでわたしは嫌になる。
あきてくる。
2週間ほど前の話とおなじ内容だからである。
30分くらいで今度はわたしもしゃべらせてもらう。
しかし五分五分にはならない。
わたしは二分で、そのジイちゃんは八分くらいしゃべったであろう。

話し好きとはいうが、聞き好きとは言わない。
なぜならば、この世に聞くのが好きな人はなく、また聞くのが上手な人はなく、聞くのは大変なことだからである。

「聞くことは、愛することである」とは精神分析学者エーリッヒ・フロムの言葉である。
だから、相手からは好かれるであろう。

日常の英会話も同じである。
アメリカ人でも、イギリス人でも、オーストラリア人でも、聞くよりしゃべりたいのである。
聞くと話すは五分五分などは現実の会話ではなかなかない。
以前に書いたフロリダ旅行でのホテルのオバチャンも聞くよりしゃべりたい人だった。

したがって、話すのが大事などと肩をいからすことはない。
聞き役にまわればよい。
そのほうが相手から好かれるし、友人にもなれる。
英会話のリスニングの勉強にもなる。

学生生活では同じ宿舎のRossと友達になった。
かれは自転車が大好きで、子どものころから住んでいるケンタッキー州をこえてサイクリングをしたそうだ。
自慢でもあろうから、えんえんと話はながい。

途中でわたしは失敗しそうになる。
「日本でも若者が、日本列島をサイクリングして新聞にのったりする」と私がいうと、Rossは悔しそうな顔をする。
私はあわてて、「うん、日本のサイクリストの話はごくまれだ」、「君はほかにどこを走ったの、そこではなにかいい人との出会いはあったのか」と話を主人公のRossにまたむける。
そしてまた彼にはわたしは聞き役となった。
Rossにとっては、のちのちのわたしは話の分かる日本人であり、友人であり、スーパーへの買い物にはいつも車に同乗させてあげては気分の良くなる異国からのトモダチ学生となった。

人間とは、話をしているときは自分が主人公であり、ほかと比較されるのは嫌うものである。
ある校長の息子は勉強ぎらいである。
母親も良くない。
勉強をしろとつねにうるさく言い ― つまり息子の話を聞かないで、しゃべるだけの人であり、さらにしゃべるのは小言ばかりである ― 「XXのだれだれはよく勉強する」と比較もする。
こんなふうに言われた息子は母によりつくはずがなく、勉強する気にな・る・は・ず・も・ない。

相手が話している話題を変えるのも、話し手から好かれない。
日常会話ではこれが実に多いのだ。

話題を変えられた経験を想いだせばよい。
安くていいTシャツを買ったと喜んで話をしていると、相手はいきなりパンの話をしたりする。
わたしの話を聞きたくないとの意思表示でもあり、聞くよりしゃべらせてくれとの意思表示でもあろう。
いずれにしても話題を変えられるのはおもしろいことではない。

話し相手の話題を変えなければ、相手から好かれるであろう。
なぜならば、相手を主人公にして、相手の話につき合うのは「愛をあたえる行為」だからである。

話し手の話題にそって話を聞き、相手をほかの人と比較せず、より多くの時間を聞き役にまわれば、ふつうならば相手から好かれるであろう。

ほかに重要なのは、話し相手への「共感」である。
しかし「共感」は、ただ話を聞くだけよりも難しい。
まずは初歩的に重要な「聞く」がつねに実行できてからのテーマである。

日本語のおしゃべりも英語のおしゃべりも同じである。
「聞き役にまわる」「相手の話題をそらさない」「人と比較しない」が日常会話のコツである。

カテゴリ:語学・国際交流・社会貢献

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