趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

仕組まれた悲劇か、恋敵の結末は??…名歌200選(34)(35)(36) 素浪人の『万葉集漫談』(234話)

大津皇子(オオツノミコ)と石川郎女(イシカワノイラツメ)との逢引はさらに事態を深刻にして行きます。

(233) 大船の 津守が占(ウラ)に 告(ノ)らむとは
           まさしに知りて わが二人宿(ネ)し
             巻2・109 大津皇子(オオツノミコ)

大意・ (大船の)津守(ツモリ)の奴の占いで、(二人の逢引が宮廷に洩れる)ことは分っていたさ、それを承知で彼女と寝たのさ。…と、皇子らしい大胆さで昂然と詠んだ歌ですね。686年の歌です。

解説・ 大船の津守は、当時の陰陽師(占い師で、当時の秘密警察のような役割ももったとされます)。さあ、次には恋敵の草壁皇子の歌があります。これはしかし689年に詠まれた歌となっています。

(233’) 大名児(オホナゴ)が 彼方(オチカタ)野辺に 狩る草や
              束の間(アヒダ)も わが忘れめや
            まき2・110 草壁皇子(クサカベノミコ)
大意・ 大名児(オホナゴ・石川郎女のこと)が遠く彼方の野辺で、草を刈るその束の間も、彼女を忘れるなど、僕にはできっこないよ。

解説・ 前にもお話しした通り、白村江の戦いで、百済を応援しようと
大阪港から出陣したさなか、この大伯皇女(オオクノヒメミコ)、草壁皇子、大津皇子の3人は1年遅れで出生しており、無垢で可愛かった3人の赤ん坊の生涯が、このような形で悲劇を生もうとは、だれが予想できたでしょうか…。
3人の父親、天武天皇が亡くなったのが、686年9月9日でしたね。

大津皇子ほどの頭脳明晰な青年(24歳)です。、伊勢神宮に姉(26歳)の斎宮を訪ねること自体、大きな罪とされることは、承知していた筈です。 それでも逢いたかった、何としても相談したかったことがあったのでしょう。二人の間で交わされた会話の内容はは残っていません。
そして、都に戻った大津皇子は謀反の嫌疑をかけられ逮捕されるのです。父、天武天皇が崩御されてまだ1カ月もたっていない10月2日のことです。その謀反の計画をばらしたのが大津の親友でもあった従兄の川島皇子とされます。そして逮捕の翌日には処刑されます。

(234”) ももづたふ 磐余(イハレ)の池に 鳴く鴨を
          今日のみ見てや 雲隠りなむ
            巻3・416  大津皇子(オオツノミコ)

大意・ ああ、(ももづたふ)磐余(イハレ)の池に鳴いているこの長閑な光景を見るのも今日が最後に、俺は死んでいかなければならぬのか…。 『万葉集』には、池のほとりで涙して詠まれた歌という解説があります。
解説・ 大津皇子に本当に謀反の計画があったかどうか…。10才で天下を分けたあの壬申の乱に参戦し、天武天皇を援け、天武もこよなく大津を愛したようで、天武11年には「政司(まつりごと)を執らす」までになっていました。
大津皇子の生涯はこうして敢え無く消し去られたのです。「大津夫人となっていた天智天皇の皇女、山辺皇女(ヤマベノヒメミコ)が裸足になって髪を振り乱して刑場まで走り、夫の後を追った」とは、日本書紀にある記述です。 
逮捕の翌日処刑というのも異常に早いし、謀反の計画に参加したという仲間の逮捕も間もなく、殆ど全部の者が釈放されており、この謀反計画はでっち上げ説が濃厚に匂う気がしますが、さて皆様のご判断は…?(笑)。 え?学説は、双方に分れています。

長くなりました。姉の大伯皇女(オオクノヒメミコ)の後日談の名歌が続きますが、これは次回とさせて頂きます。

コメント

コメントはログインすると見られるようになります。