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よくあるご質問

昨日の続き「薬師如来像光背銘文」偽造説について

「薬師如来像光背銘文」と「釈迦三尊像光背銘文」については銘文の解釈や作成時期を巡って、様々な問題点が指摘され、
偽造説も出されている。

「薬師如来像光背銘文」の解釈については定説は無く、著者は固有名詞をぼやかしており、丙午の年を586年と想定し、池辺大宮は用明天皇(在位586〜587)とし、
用明天皇が造立を企画したが、流行していた天然痘に罹って早く崩御され、そのままになっていた。
小治田大宮は推古天皇と考え、推古天皇と聖徳太子が造立したものと見る。

さきにA列とB列120年の差がある2本の年代列を当てはめると、586年の120年後の706年(慶雲3丙午)は文武天皇が罹病した年で翌年崩御されている。

銘文は飛鳥時代の用明天皇をモデルとしながらも、実際には文武天皇を想定して刻まれていると考える。
従って文体などは奈良時代のものとなっている。

この120年のズレは偶然の一致とも考えられるところ、薬師如来の製造再開の年「丁卯」については「法隆寺資材帳」では聖徳太子によって法隆寺が創建されたとしている。

書紀推古紀丁卯607年(推古15年)は、神祇崇拝のことが書かれており、仏教については触れられていない。

そこで、120年繰り下げると、727年(聖武天皇神亀4)に<皇子>誕生の記事があり、この皇子は翌年急逝してしまう。
この状況は用明天皇と文武天皇との事例に非常に良く似ている。即ち、丁卯の記事は奈良時代の出来事として理解すれば極めて辻褄があっていることになる。
皇子急逝を悼み、薬師如来像の製作が再開されたと思われ、従って銘文は奈良時代に作られた物と考えられる。

人物比定

光背銘文の人物  ★奈良時代の人物への投影(A列)

天皇 文武天皇(在位697〜707)
(罹病706〜急逝707)
大王天皇 元正天皇(在位715〜724) 叔母
(太上天皇在位724〜748)
太子 元明天皇(在位707〜715)
(太上天皇在位715〜721)
東宮聖王 聖武天皇(皇太子在位714〜724) 甥
(天皇在位724〜749)
<幼皇子(727〜728)急逝>(薬師如来製作再開)
(太上天皇在位749〜756)

光背銘文の人物 ★飛鳥時代の人物への投影(B列)120年前
天皇 用明天皇(在位586〜587)(薬師如来製作中断)

大王天皇 推古天皇(在位593〜628) 伯母

太子 聖徳太子(皇太子在位593〜621) 甥

東宮聖王 聖徳太子(皇太子在位593〜621)

薬師如来造立事情 以下の3点が考えられる。

1. 120年前と同じ事柄が生じ、病気平癒を祈願するという発想が生まれた。
2. 奈良時代の事を飛鳥時代の事に擬す発想が生まれた。
3. 書紀の、A列とB列の飛鳥時代の用明天皇と奈良時代の文武天皇の人物像を重ねて編纂していることを踏まえて、銘文は作られた。

上記のうち、何れに妥当性、蓋然性を認めるかは定め難い。
然し、銘文の作成者は120年のズレを認識していたことは、確かと言える。

以下、次に続く。

カテゴリ:ニュース・その他

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