続き4.多利思比孤と聖徳太子

隋書倭国伝に倭王多利思比孤が朝貢したことが記されている。
そして、隋からは答使が倭に派遣されたのだが、書紀は遣使先を「隋」ではなく「唐」と書き、多利思比孤のことは語らず、答使のことだけやや詳細に書く。

書紀の推古26年条には、「高麗の隋への遣使に関し、煬帝が30万の軍を興して攻めようとしている」という記事があり、
当時の国際情勢をよく把握している様子が窺われ、「隋」を知っていながら敢て120年後の「唐」の事として記載している。

私はこれを、遣使した隋の皇帝から「理に外れている」とか、「無礼者」などと言われ、反発したが、外交を穏便にする為、答使に対して