読後感想(聖徳太子・法隆寺の謎)

古事記は33代推古天皇(554〜628)までしか記さない。
一方、日本書紀は40代(弘文天皇を入れると41代)持統天皇(690〜697)までを記す。
即ち、書紀成立(720)の直近までを記す。

飛鳥・奈良時代に限らず、古代の権力の争奪戦は、まさに血で血を洗う血腥い争いの連続であった。

厩戸皇子薨去(622)後、蘇我氏の専横が甚だしくなり、それを阻止する乙巳の変後、藤原氏は天皇家が今猶、蘇我氏の血筋が濃い状況であることをを打開し、
藤原氏の意思に沿うように、覇権を握るべく、今までの豪族の常套手段である后妃を送り込んだ。
ところが偶々天然痘の流行に見舞わ