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よくあるご質問

9、バスク人の聖地、ゲルニカ

限られた時間の中では他の絵は目を瞑って通り抜け、でももう来られないのだろうなと思いつつショップで『ガイドブック』を求めて我慢した。
 エル・グレコ、ベラスケス、ムリーリョ、ゴヤ、ラファエロ、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ブリューゲル、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンス、プッサン、クロード・ロラン、デューラー等々、綺羅星の如くあったのだが。
 プラド美術館となっているファン・デ・ビヤヌエバ館は1785年に自然科学博物館として建てられたもので、所蔵する膨大な作品を展示するため近隣の建物を改修、拡張工事が進められていた。この美術館の主要な三つの入口には、ゴヤ、ベラスケス、ムリーリョの銅像があるというのだが、それもゴヤだけしか見ることができなかった。
 この辺り一帯には王室の御用邸があり、その昔は牧草地(プラド)であったのだろう。自然科学博物館の南には付属施設として一般公開されている植物園があり、これに面したサンタ・イサベル通りの南に明日利用する新幹線発着のアトーチャ駅があった。
 アトーチャ駅前でバスを降りるとき、「スリ、泥棒が出やすいところです。女性のジプシーにやられるのは男性ですから、お気をつけてくださいね。バッグはお腹の前に抱えるようにして。プロなら開けて、取って、閉めていってくれます」。
 この駅の向かいに現王妃の名を冠した国立ソフィア王妃芸術センターがあり、ミロやダリなどの現代美術作品を常設展示しているその中に、ピカソの《ゲルニカ》があった。
 以前はプラド美術館の別館にあったものを、1,2km離れた現在地への移設に50億円の保険をかけて移したのであった。
 国立ソフィア王妃芸術センターは、1700年代に作られた病院を1988年に美術館として活用したもので、開設当初から警備の人などが、泣き声とか呻き声をほとんど全員の人が体験しているという。K子さんが「霊感の強い人はどうぞとり憑かれませんように」と。
 病院を改装した建物はネオ・クラシック様式で、斬新なデザインのエレベーターが目を引く。特に昔の建物は天井が高く、「エレベーターで2と出たら降りてくださいね」。
 何と普通の建物の5階分はある高さである。セキュリティチェックを受けて館内へ。チケットは一枚一枚デザインを異にするユニークなものであった。

 ゲルニカはスペイン17州のうちの北にあるバスク自治州ビスカヤ県の都市で、ここにはピレネーを挟んでフランスにも跨ってバスク人が住んでいる。言葉も全く異なり、バスク語はヨーロッパ唯一インド・ヨーロピアン語族に属さない、日本語やエスキモー語に近い言語である。また血液型もバスク人はO型が最も多く、B型はほとんどいなくて27%はRh−であるという。
 ビスカヤの伝統的な議会は、樫(オーク)の木の下で開かれてきた。バスク人にとってこの木は自由の象徴であり、オークの木は代々植え替えられて1800年代まで立っていた木は石化して議会場の近くに置かれているという。
 そして代々のビスカヤ伯は、その称号を受ける前にゲルニカを訪れ、ビスカヤの自治を尊重することを誓うしきたりがあり、その伯位はカスティーリャ王に受け継がれたが、王もまたゲルニカで誓ったという。
 スペインは1936〜39年にかけて市民戦争が勃発していた。 労働者の権利が拡大し、左が力をつけていくのに抗して軍部が台頭し、反乱軍のフランコ将軍との間で血を血で洗う市民同士の争いで、100万人の犠牲者を出す内乱であった。
 1937年4月26日(月)午後3時40分頃、突然、サンタ・マリア教会の鐘が烈しく鳴り響いた。何事かと快晴の空を仰ぐと、ドイツ空軍(コンドル軍団)のハインケル、ユンカースなどの爆撃機が来襲、約3時間に亘って爆弾約200トンを投下。
 ここには共和国政府軍もいなく対空砲火のないことをいいことに超低空で機銃掃射を加え、一般市民を大量虐殺していった。3機のイタリア軍機も加わっていた。
 昔からゲルニカは毎週月曜日に市が立ち、近隣の村から人々が集って賑わい、良い天気の中で食事をし、ゲームなどひと遊びして帰っていくという長閑な暮らしがあった。そのことを見越して、フランコはヒトラーに依頼し爆撃させたのであった。とにかく精神的にショックを与えることだと考え、初めて使う焼夷弾の爆撃演習にどうぞと言って。
 まさに広島のルーツがここにあった。何の痛痒も感ぜずに、無差別に一般市民を抹殺していく戦争のあり方。

 実は昨日、犬養道子基金を支える市民の会主催の、女優たちによる朗読「夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ1945年」に行ってきた。大橋芳枝、長内美那子、高田敏江、柳川慶子、山口果林、渡辺美佐子さんの女優と市内の北星・藤・聖心の高校生6人も加わって、広島、長崎の原爆の悲劇を伝える朗読会であった。
 600人を越える盛会であった。

カテゴリ:ニュース・その他

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